67年前のクリスマスイブに釈放された岸や児玉はCIAに操られたが、起訴されなかった中に重要人物

桜井ジャーナル2015/12/24より転載
二本の今を知るために、極東国際軍事裁判をそることは重要である。

以下転載

67年前のクリスマスイブに釈放された岸や児玉はCIAに操られたが、起訴されなかった中に重要人物

 67年前の12月23日、7名の戦犯が巣鴨拘置所で処刑された。このうち「A級(平和に対する罪)」が理由にされたのは土肥原賢二、広田弘毅、板垣征四郎、木村兵太郎、武藤章、東条英機の6名、松井石根は1937年12月に南京を占領した際に行われた虐殺などの責任を問われての処刑、つまり「A級」ではない。そして処刑の翌日、クリスマス・イブに岸信介、児玉誉士夫、笹川良一を含むA級戦犯容疑者19名が巣鴨拘置所から釈放された。翌年の3月にGHQ/SCAP(連合国軍最高司令官総司令部)は極東国際軍事裁判の打ち切りを決定している。

 1976年2月、アメリカ議会でロッキード社による買収が明らかにされ、7月には田中角栄が受託収賄と外国為替・外国貿易管理法違反の疑いで逮捕された。この事件に絡み、岸や児玉がCIAから多額の資金を提供されていたとする報道がアメリカであり、占領時代の暗部が注目されるのだが、日本の大手マスコミは現在に至るまで本気で注目しているようには見えない。

 ロッキード社が秘密裏の支払いに利用したというディーク社は「CIAの金融機関」のひとつ。創設者のニコラス・ディークはアメリカの戦時情報機関OSSの出身で、1953年にアメリカとイギリスが共同で実行したイランのクーデター工作、ベトナム戦争での秘密工作で資金を動かしていた。ベトナム戦争でCIAは麻薬の密輸に手を出していたが、その資金もオーストラリアのナガン・ハンド銀行と同じように扱っていたようだ。

 ベトナム戦争での秘密工作には米空軍のリチャード・シコード、陸軍のジョン・K・シングローブ、海兵隊のオリバー・ノース、CIAのセオドレ・シャックレーなど後に「イラン・コントラ事件」で名前が浮上する人物も参加している。海軍兵学校でノースより1年上だったリチャード・アーミテージも秘密工作に関係、元グリーン・ベレーのジェームズ・グリッツ中佐によると、アーミテージは麻薬取引で犯罪組織とアメリカ政府をつなぐキーマンだった。麻薬取引の大物として知られているクン・サの証言に基づく情報で、その証言は映像に記録され、1987年6月には映像のコピーが上院の情報委員会委員長や麻薬委員会委員長、下院の麻薬管理に関する外交特別委員会委員長などに配布されている。(James "Bo" Gritz, "Called to Serve," Lazarus Publishing, 1991)

 ロッキード事件が発覚する前、アメリカの政界は大混乱になっていた。ベトナム戦争で疲弊していたアメリカの経済は1970年代に入ると破綻、リチャード・ニクソン大統領は71年にドルと金の交換を停止すると発表、73年から世界の主要国は変動相場制へ移行していく。そうした最中、1972年6月にCIAの秘密工作部隊に所属していたグループが民主党全国委員会本部に侵入したところを逮捕される。「ウォーターゲート事件」の幕開けである。

 経済破綻後のアメリカを支えるために考えられたのがペトロダラー。基軸通貨であるドルを発行することで物を買い、支払ったドルは石油取引の仕組みを使って回収しようというものだ。石油価格が上昇すれば市場が拡大し、効率は良くなる。実際、1973年10月の第4次中東戦争を切っ掛けにして石油価格は4倍に引き上げられたのだ。ここで、この戦争に至る過程を振り返ってみよう。

 まず思い出すのは、PLOのヤセル・アラファト議長を支えていたエジプトのマール・ナセル大統領が52歳の若さで1970年9月に心臓発作で急死したこと。ナセルの後任大統領は「元イスラム同胞団」で、ヘンリー・キッシンジャーに操られていたアンワール・サダト。このサダトが1973年10月、イスラエルに対して奇襲攻撃を仕掛けたのだが、その黒幕はキッシンジャーだった。この戦争でイスラエル政府は核兵器の使用を議論したと言われている。

 開戦の5カ月前、石油に関する重要な取り決めたあったと主張しているのはザキ・ヤマニ元サウジアラビア石油相。彼によると、「1973年5月にスウェーデンで開かれた秘密会議」で石油価格の値上げが決められたというのだ。該当するのはビルダーバーグ・グループの会議だ。その会議でアメリカとイギリスの代表は400パーセントの原油値上げを要求したという。

 しかし、サウジアラビア国王は石油価格の値上げを嫌う。ライバルを増やし、代替エネルギー源の開発を促進させると考えたようだが、イラン国王はヤマニに対し、「なぜ原油価格の値上げに君たちは反対するのだ?そう願っているのか?ヘンリー・キッシンジャーに聞いてみろ、値上げを望んでいるのは彼なんだ」と言ったという。

 さらに投機の規制を緩和してドルを吸収しようともする。そうしたマルチ商法的な仕組みを正当化する「理論」を考えたのがシカゴ大学のミルトン・フリードマンたちだ。その「理論」を実践した最初のケースが1973年9月11日にチリで実行されたオーグスト・ピノチェトの軍事クーデター。黒幕はキッシンジャーだった。

 この頃、デタント(緊張緩和)へ舵を切ろうとしていたニクソン大統領に対する攻撃が強まり、1974年8月に辞任する。副大統領からジェラルド・フォードが大統領に昇格すると好戦派が主導権を握る。その中には後にネオコンと呼ばれるようになる親イスラエル派も含まれていた。

 1975年11月にホワイトハウスは政府高官の入れ替えを発表、ジェームズ・シュレシンジャー国防長官が解任されてドナルド・ラムズフェルドが後任の長官に選ばれ、76年1月にはCIA長官がウィリアム・コルビーからジョージ・H・W・ブッシュへ交代する。ラムズフェルドの後任大統領首席補佐官はリチャード・チェイニー。このときの粛清劇で中心的な役割を演じたのは、このラムズフェルドとチェイニーだと言われている。

 コルビーはCIAの違法活動を議会で証言した人物で、好戦派の内部では裏切り者と見なされていた。その当時、ブッシュを情報機関と無関係の素人だと思っていた人が少なくないが、実際はエール大学でCIAにリクルートされた可能性が高く、ジョン・F・ケネディ大統領が暗殺されたときにはCIAの幹部だったことがFBIの文書で明らかになっている。ジョージの父親、プレスコットはアレン・ダレスと親密な関係にあった。

 1948年12月24日に釈放された戦犯容疑者はCIAと深く結びつき、現在に続く。特高や思想検察の人脈は戦後も生き続け、マスコミの責任も問われなかった。極東国際軍事裁判が「戦争犯罪」を裁くことが目的だったとするならば、起訴しなければならなかった多くの人が不問に付されているのはさらに奇妙な話だ。1933年にアメリカでフランクリン・ルーズベルトが大統領に就任する前の日米主従関係を復活させるための儀式にすぎなかったという見方もある。
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『邪馬台國論争 終結宣言』 邪馬台国は日本にはなかった…

阿修羅よりの転載である。近現代史ではなく古代史の問題であるが、あえて日本の近現代史に分類する。

『邪馬台國論争 終結宣言』 邪馬台国は日本にはなかった…
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/106.html
投稿者 野田隼人 日時 2009 年 4 月 05 日 12:19:10: rgym1W9ZU3nMk




「マヨのぼやき」というブログがあります。数ヶ月前に何かのきっかけで同ブログを訪れたところ、たまたまフルベッキ写真が話題になっていました。しかし、同ブログのオーナーであるマヨさんが、フルベッキ写真に写っているのは本物の坂本龍馬だの、高杉晋作だのという具合に書いているので、拙ブログのフルベッキシリーズを紹介した上で、マヨさんのフルベッキ写真に対する誤解をズバリ指摘したところ、素直に間違いを認めるマヨさんを見て大変驚いたものでした。なぜなら、他人から指摘されるのは普通であれば余り良い気持ちはしないものであり、却って開き直られることが過去に度々あったからです。しかし、マヨさんはそうした連中とは異なり、素直に自身の間違いを認めたのですから、誠実で信頼するに足りる人物だという印象を持つに至ったのであり、爾来いろいろと情報交換を行うようになった次第です。

そんなある日、マヨさんが「卑弥呼はころされた」という投稿をしていました。その投稿のコメント欄に山形明郷という人の著した『邪馬台國論争 終結宣言』という題名の本を、マヨさんが紹介していたのに目が止まったのです。あの古代史に強いマヨさんが推薦する本なのだからと云うことで、至急インターネットでサーチしてみたところ、ラッキーなことに絶版となっていた同書がインターネットの古本屋にあることが分かり、迷わず購入を決めました。そのお礼を同記事のコメント欄に書いたところ、マヨさん本人から以下のような回答がありました。


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サムライさん、いつもどうも。山形氏は本物です。これ以上の本は出ていないでしょう……以下略
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数日後、同書が届いたので早速目を通してみました。装丁が非常に丁寧であり、かつ色鮮やかな地図も何枚か目に飛び込んできました。そして、何よりも格調高い山形氏の文章が気に入ったのです。どうしてこれだけの格調高い文章を書けるのだろうと思いつつ、同書の冒頭に栃木県婦人ペンクラブ会長の吉田利枝先生の書評を最初に読み、さもありなんと思った次第です。大変優れた書評なので以下に吉田先生の書評を全文転載しておきましょう。


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書評

 著者・山形明郷氏は、在野の古代東アジア史研究家である。

 我が国の古代史をめぐって、往年の松下見林、新井白石、本居宣長以降三百余年の歳月を閲しながら、今日尚古代の一国邑「邪馬台国」の確たる所在、その実相さえも明証し得ぬまま、いつ果てるともなき論争が終結をみない現況を座視し得ないとされる著者が、意を決して古代アジア・日本列島の実相究明にその人生の大半を耗して精魂を傾け、漸くにして成就させたこの著作は、日本史学界はもとより、我が国史を後世に伝承させる汎日本国民への空前絶後の一大偉業である。

 未だに記述文化不毛の草創期の我が国が、その古代史形成に当たって依拠したのが、歴史大国・隣邦中国が蓄積保蔵する萬巻の大史録中の一誌(志)「魏志倭人伝」であった。これに依拠以降の我が国は、これを「日本古伝」と看做し、おしなべての国民が教育されて今日に及んでいる。

 古代中国の魏朝期、陳寿なる一吏員の筆になる右「魏志倭人伝」は撰者自らが「倭国」に出赴たわけではなく、当時の歴史的断片たる官府の記録や、自国近域の伝風聞、倭使からの情報や魏使の報告書等による雑記文的二千文字の小誌である。

 しかるに我が史学界は、散漫・粗笨の謗りを免れ得ないこの小誌を今日尚固執し続け、しかもこの叙述内容への驚くべき曲解、誤認の視座から、些かの躊躇もなく「倭」は日本国、「倭人」は日本民族と即断して疑わず、更に同誌上に登場する「女帝・卑弥呼」も、この倭国日本列島内の王朝「邪馬台国」に君臨した強大な首領だったとし、これらの所在地域に、「九州」、「近畿(大和その他)」等を各々が立論してその正当性を互いに譲らず、また古代の面影を遺して列島内各地から発掘・出土の遺構・墳墓・武具・刀剣・馬具さては金印・鏡・貨銭・玉等々を見分の都度も亦曲解、誤認の「倭人伝」を基底に繰返す憶測、謬見が賑う紛々の論争は、いよいよ真個の古代東アジア・古代日本の史実を遠ざけている。

 このような、現日本古代史が内包する曖昧模糊たる迷雲を払拭し、確固たる日本古代史の再構築を期する為には、何よりも先づ「魏志倭人伝」への固執、且つ歪曲の旧弊から決別し、「広大なアジアの一角に生きてきた古代日本の視座からの究明を」翹望される著者は、古代東アジア史研究家ならではの漢文字に通暁の非凡の手腕を駆使して、広汎な古代文献、即ち先にふれた有史四千余年の星霜が蓄積、保蔵する歴史大国・中国の古史録(原書)を本国からとり寄せて座右にし、畢生の大業に挑まれた。

 「正史二十五王朝史」総冊実に二百八十九冊・三千六百六十八巻に上る驚異の大冊原書に加え、「戦国策」「国語」「春秋左伝」「十八史略」「高麗史」「三国史記」等々、更に、現・人民中国編集委員会が発行する「月刊・人民中国」そして、李鐘恒氏をはじめとする現・朝鮮半島内学者と共に、在日朝鮮公民として亦斯界で活躍される全浩天氏諸兄の関係著作論文、その入手に苦労されたであろう往年の「大満州国地図」「中国歴史地図」をも机辺にされ、これら厖大、広範な古文献、多彩な諸資料を丹念に解読・精読を重ね更にこれら叙述内容への精緻な比較・照合・検索・検証に亦精魂を傾けられ、待望久しかった私どもは、この程漸くにして上梓完成されたこの珠玉の大著に見えることができた。

 まさに著者・山形明郷氏ならではの蘊蓄に彩られた峻厳・明晰の一大論証であり、余りにも長歳月に跨った紛々の論争に、鮮烈な「終結」を宣した我が国古代史界希有の大書である。

一九九四年 水無月の佳き日に
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吉田先生も書評で述べておられるように、山形氏が目を通したという同書にある参考文献の一覧表を見て圧倒されました。同一覧表にあった『史記』、『国語』、『春秋左伝』、『三国志』、『十八史略』、『山海経』などは愚生も一応は目を通してはいるものの、あくまでも和文に翻訳された翻訳本に目を通したに過ぎず、その点、山形氏の場合は何十冊にも及ぶ参考文献を全て原典で読み通したというのですから、彼我の知的レベルの違いに圧倒されたのでした。そうした優れた漢籍の素養が有るからこそ、山形氏はあのような味わい深い文章を書けるのだということがよく分かったものです。

さて、同書の本文に目を通し、結論として山形氏の主張は本物であることが分かります。同書の白眉は何と云っても古代朝鮮の所在地を明白に解明してみせたという点にあり、それにより以下の◆印の結論に達するのですが、同書の冒頭から目を通した一読者としてどれもが納得できるものでした。以下の点について素直に納得できるということは、換言すれば過去の『魏志倭人伝』に対する解釈や卑弥呼像が全くの間違いであったことが分かるということに他ならないのです。

◆ 古代朝鮮・楽浪・前三韓の所在地は、旧満州であった(現在の朝鮮半島ではなかった)
◆ 卑弥呼の正体は、遼東侯公孫氏の係累であった(日本の卑弥呼ではなかった)
◆ 倭の所在地は、古代「韓」半島であった(日本ではなかった)

以上の三点のみを以てしても、日本さらには東アジアの古代史を根底から書き直さなければならないのは一目瞭然です。ともあれ、『邪馬台國論争 終結宣言』との出会いにより、己れが今までに築いてきた歴史観を根底から再構築しなければならなくなりました。そして、同書との出会いは拙ブログで公開しているフルベッキ写真シリーズを立ち上げた当時を思い出させてくれたのです。つまり、フルベッキ写真の存在を知った当時の自分は本当に驚いたものであり、本当に、坂本龍馬、高杉晋作、伊藤博文、西郷隆盛、勝海舟、大久保利通、大村益次郎、果ては明治天皇が写っているのだろうか、ことの真偽を確かめてやろというのが、一年間にわたって合計で100ページを超える「近代日本とフルベッキ」を某国際契約関係のコンサルティング会社のウェブに掲載し、その後は慶応大学の高橋信一先生とさらにブログでフルベッキ写真について追究してきたきっかけとなったのですが、今では、坂本龍馬、高杉晋作、伊藤博文、西郷隆盛、勝海舟、大久保利通、大村益次郎、明治天皇はフルベッキ写真には写っていないことを明白に断言できます。しかし、、坂本龍馬、高杉晋作、伊藤博文、西郷隆盛、勝海舟、大久保利通、大村益次郎、果ては明治天皇がフルベッキ写真に写っているという俗説を信じている人たちが未だに多いのが今日の日本であり、今の私にはそうした人たちと邪馬台国が九州だ近畿だのと未だに言い争っている人たちとがだぶって見えてきたのでした。

ともあれ、わずか一葉の写真の真実を追究するだけでも、かくも多大な時間とエネルギーが必要です。だから、日本では常識となっている上記の「邪馬台国=九州 or 近畿説」を覆すだけの証拠を、何百巻もの原書を調べ尽くして抽出してみせた山形氏の仕事を目の前にすれば、インテリジェンスが分かる者ならば誰もが山形氏が導き出した結論を率直に信用し納得できるはずなのです。同書冒頭の書評にある吉田利枝先生の、「我が国の古代史をめぐって、往年の松下見林、新井白石、本居宣長以降三百余年の歳月を閲しながら、今日尚古代の一国邑「邪馬台国」の確たる所在、その実相さえも明証し得ぬまま、いつ果てるともなき論争が終結をみない現況を座視し得ないとされる著者が、意を決して古代アジア・日本列島の実相究明にその人生の大半を耗して精魂を傾け、漸くにして成就させたこの著作は、日本史学界はもとより、我が国史を後世に伝承させる汎日本国民への空前絶後の一大偉業である」という言葉は決して誇張ではありませんでした。

残念ながら、同書は絶版であり、私がサーチした限りオンラインの古本屋さんでは『邪馬台國論争 終結宣言』の入手は不可能です。よって、最寄りの図書館で探していただくか、東京・神田の古本屋街などに出向いて探していただく他はなさそうです。山形氏のホームページもあるものの、私がそうであったように、それだけでは十分に納得できないでしょう。『邪馬台國論争 終結宣言』は、その人の持つ今までの東アジア古代史観を、根底から覆してしまうだけのパワーを秘めた本であり、その意味でも是非一度は同書を紐解くようお勧め致します。  

歴史教科書読み比べ(21): 頼朝が生んだ幕府体制の叡知

■■ 国際派日本人養成講座 ■■より転載


■■ Japan On the Globe(903) ■■ 国際派日本人養成講座 ■■

歴史教科書読み比べ(21): 頼朝が生んだ幕府体制の叡知

 武家が実権を握る新しい時代に、源頼朝は日本の伝統的叡知に根ざした幕府体制を生み出した。
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■1.「守護・地頭」って何?

 東京書籍版(以下、東書版)では「鎌倉幕府の始まり」と題して、次のように述べている。

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平氏の滅亡後,義経が頼朝と対立すると,頼朝は義経をとらえることを口実に朝廷に強くせまり,国ごとに守護(しゅご)を,荘園や公領ごとに地頭(じとう)を置くことを認めさせ,鎌倉幕府を開いて武家政治を始めました。[1,p52]
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 そもそも守護、地頭とはどんな役職なのか説明もない。「義経をとらえることを口実に」と頼朝の腹黒さを強調したいようだが、守護・地頭を置くことと義経をとらえることが、どう繋がっているのかチンプンカンプンなので、その魂胆は不発に終わっている。

 守護、地頭とは何なのか、それらを頼朝は何のために置いたのか、そうした疑問を追求してこそ、歴史の面白さが出てくるのだが、これでは「鎌倉幕府、守護、地頭」などと、意味も分からない中学生に機械的に丸暗記させる受験勉強でしかない。

 自由社版では、「鎌倉幕府の成立」の項でこう述べている。

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 平氏滅亡ののち、源頼朝は朝廷の承認を受け、1185(文治元)年、地方の国ごとに守護を、荘園や公領には地頭を置いた。守護は、軍事や警察の仕事につき、地方の政治に関与した。地頭は、年貢の取り立てや、土地の管理などを行った。

一方、源義経が兄である頼朝と対立し、平泉(岩手県)の奥州藤原氏のもとにのがれると、頼朝はその勢力を攻め滅ぼして、東北地方も支配下に入れた。[2,p82]
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 守護が「軍事や警察の仕事につき、地方の政治に関与」、地頭が「年貢の取り立てや、土地の管理」と説明されているので、東書版よりもだいぶましである。地方行政、治安維持、土地所有権管理と税の徴収なら、全国統治の仕組みとして必要なことが分かる。


■2.将軍と守護・地頭の公的な関係

 歴史学者・村尾次郎氏は守護・地頭の意義について、こう述べている。

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守護は追捕使(ついぶし)から発展したな治安馨察官であり、同時に、国別に御家人を統率する軍事指揮官でもある。文治元年(1185)に有力な御家人を任命し、頼朝のカはぐっと西国のはてまで延びることができた。これまた地頭とともに官の公認をとって実施したものである。・・・律令制国司の職掌からその最も大きな部分のひとつを奪うことになった。

 地頭は、平家旧領の荘園を中心として諸国に配置された。その任務は兵糧米を徴集することであったが、同時に、荘園の下司が行なっていた年貢徴収と荘園領主への納入などをつかさどった。守護のもとに警察官の役をも兼ねるのが特色で、鎌倉御家人に対する頼朝の新恩のおもな手段になった。地頭には権力があるうえに、かなりの収入(得分)がともなったからである。[3,p169]
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 この一文からは、次の2点が窺われる。

 第1に、守護も地頭も、それ以前の律令国家の仕組みを手直しして、実質的な権限を握ろうとしたことである。しかも「官の公認をとって実施したもの」で、天皇と朝廷の権威のもとに行われた改革であった。武家が政権を握ったと言っても、天皇の権威のもとで、従来、貴族が握っていた権限が武家に移ったということである。

 第2に、頼朝が自分の御家人を守護や地頭に配した点。これは自分の部下に対する論功褒賞をしたというだけではない。建久3(1192)年、頼朝は朝廷から、征夷大将軍の称号を与えられた。これにより、頼朝とその家来たちの私的な主従関係は、国家のなかでの将軍と守護・地頭という公的な関係に位置づけされた。

 すなわち主君への忠義が、国家への忠義ともなったのである。地方豪族に私的に仕える武士は単なる「家人」だが、朝廷から任ぜられた征夷大将軍に仕える武士は「御家人」なのである。


■3.天皇の権威のもとでの「征夷大将軍」

 皇室の権威のもとで実権を握ろうとする頼朝の考えは「征夷大将軍」の称号にも見てとれる。

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 桓武天皇が延暦十年に任命された征夷大使は、陸奥国府、鎮守府、按薩使(あぜち)など現地(奥羽地方全部)の全組織を統括したばかりでなく、駿河以東の東海道、信濃以東の東山道諸国(坂東八カ国はすペてふくまれる)に対しても軍需品の調達および兵力の動員について国司に指令できる権限が与えられた。

坂上田村麻呂が後に授げられた征夷大将軍は、この征夷大使の権能をひきついだものであろうから、大将軍の号令は東日本全部に行政・軍事の指揮権をふるうことができるわけで、頼朝の目的と完全に一致するのである。田村麻呂の場合は臨時であったが、頼朝はこれを常置の官号として授けられることを望んだ。[3,p168]
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 ここでも頼朝は、歴史的な伝統に則り、あくまでも天皇の権威のもとで実権を握ろうとした。貴族政治から武家政治に代わっても、天皇の権威のもとで統治者としての正統性を得るという構造は同じである。


■4.「朝廷の権威は最高のものとして心の中にいきており」

 朝廷の権威を大切にする頼朝の姿勢は、当時の社会が必要としていたものであった。この点を、村尾氏はこう説明する。

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 律令制度が崩れていき、朝廷の行政と軍事の力がずたずたにちぎれてくると、中央の拘束力からはなれてゆく地方では、大小さまざまな、しかも、独立性をもった土地支配者の分布する複雑な社会状態を現出し、自衛のための同族軍事組織が生まれてきた・・・。

対立抗争のなかに立ちながら、彼らは自分の資産を「一所懸命」に守るために、時の権威者から出される保証書によって確保する慣習を大切にした。これを「安堵(あんど)」という。

その場合、こんな独立心のさかんな者たちでも、朝廷の権威は最高のものとして心の中にいきており、朝廷の権威から流れ出た筋での権威者が保障してくれることを希望した。[3,p167]
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 古代の律令国家の秩序が崩れた後に現出した乱世をまとめるには、中国であればすべての対抗勢力を打倒して、新たな皇帝として権威と権力を打ち立てるしかない。それには長期間の戦乱がつきものである。

 我が国では、朝廷の権力は崩れたが、権威は人々の心の中に残っていた。そこで頼朝は律令制の伝統を受け継ぎつつ、朝廷の信任を受けた新しい統治者として登場したのである。

 東書版では「頼朝は義経をとらえることを口実に朝廷に強くせまり」とあるが、それは単に朝廷を騙したという事ではない。

 朝廷の側でも、たとえば義経が不平を持つ武士や農民を組織して、頼朝に抵抗すれば、全国的に戦乱が続いてしまう[4,p237]。朝廷が国家統合の権威の源泉として、頼朝を統治者として承認し、守護・地頭など統治機構を整備させたのは、国全体の早期安定を図るためにも賢明な施策であった。


■5.「北条政子のうったえ」

 頼朝の死後、妻・政子の実家、北条氏に実権が移った。頼朝の子・頼家は二代目将軍についてが、粗暴を理由に伊豆の修善寺におしこめられ、ついには殺される。後を継いだ弟の実朝も暗殺され、将軍家は断絶した。

 これを機に、将軍職を返上すべきとする後鳥羽上皇と、上皇の皇子を将軍に迎えて幕府を続けようとする北条氏との対立が決定的となった。承久3(1221)年5月、後鳥羽上皇は北条氏追討の軍勢を全国に呼びかけ、鎌倉御家人の中にも朝廷側に走る武士も出た。

 東書版は「後鳥羽上皇が幕府に対して兵をあげると、頼朝の妻・政子は、鎌倉の武士たちに、頼朝の御恩を説いて結束をうったえました」との説明書きの下で、「北条政子のうったえ」を次のように伝えている。

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 みなの者、よく聞きなさい。これが最後の言葉です。頼朝公が朝廷の敵をたおし、幕府を開いてこのかた、官職といい、土地といい、その恩は山より高く、海よりも深いものでした。

みながそれに報いたいという志はきっと浅くないはずです。名誉を大事にする者は、京都に向かって出陣し、逆臣をうち取り、幕府を守りなさい。(部分要約)(吾妻鏡)[1,p53]
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■6.「その場合はやむをえない、弓矢を捨てて降参せよ」

「部分要約」と断ってあるが、要約されていないところに重大な箇所がある。このあたりを、村尾氏はこう記している。

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 御家人たちは、かつて前例のない事態に直面して動揺した。頼朝のときには、彼らは常に勅命で動く官軍であった。それが、今度はまっさかさまに朝敵の立場に追い込まれているからである。

東海道大将軍として十万余旗をひきつれた北条泰時(JOG注:政子の父・時政の孫)も、さすがにためらいをおさえることができず、一旦出発をしながら途中でひき返し、父の義時に、もしも後鳥羽上皇おんみずからが出陣めされたときには、いかがいたしましょうかと念をおし、義時はこれに対して、その場合はやむをえない、弓矢を捨てて降参せよと指示している。

まことに、日本ならでは聞くこともできない問答である。[1,p178] ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 すなわち、御家人たちは今まで、将軍の命令は天皇の命令であり、彼らは常に「官軍」として胸を張って戦うことができた。それが今度ばかりは、もしかしたら後鳥羽上皇御自ら官軍の先頭に立って、自分たちは「賊軍」になってしまうかもしれない、という立場に追い込まれたのである。

 10万余旗を引き連れて出発しながら、途中で引き返したという所に、泰時の動揺ぶりが窺われる。


■7.「朝廷は逆臣のために誤られて道に合わない勅令を発し給うた」

「北条政子のうったえ」は、こういう動揺の中で出されたもので、いかにも「尼将軍」とまで呼ばれた断固たる意思を示している。しかし、その北条政子にしても、「後鳥羽上皇を討て」などとは言っていない。村尾氏は「北条政子のうったえ」をこう要約している。

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いま、朝廷は逆臣のために誤られて道に合わない勅令を発し給うた、われわれは院の近臣どもを退治して、将軍家の伝統を守らなくては恥を知る武士とはいえぬ。すぐに行け、ただし、院の召しに応じようとする者は遠慮はいらないから、勝手にするがよい、と申し渡した。[3,p179]
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 政子が訴えたのは、朝廷を敵とするのではない、朝廷を誤らせている「逆臣」を退治せよ、という事である。この論理によって、朝廷に対する公的な忠義と、幕府・頼朝に対する私的な忠義の相克対立は消え去り、動揺は収まった。

「北条政子のうったえ」は、天皇は国家統治の正統性・権威の源泉であり、実際の政治を行う権力者ではない、という我が国の政治的叡知の伝統に則ったものであった。

 逆に言えば、自ら武士を招集して、幕府討伐に立ち上がった後鳥羽上皇の行為は、この叡知の伝統から踏み外したものであったということができる。

「北条政子のうったえ」を紹介するなら、ここまで説明すべきだろう。東書版の「部分要約」では「山より高く、海よりも深い」頼朝公への私的恩義のみが言及され、当時の武士たちが朝廷の権威をいかに恐れ、政子がその動揺を抑えて、公的な忠義をいかに回復させたか、という我が国歴史の根幹には触れていない。


■8.日本の政治的叡知に根ざした幕府制度

 鎌倉からの大軍は朝廷側の軍勢をあっけなく破った。戦後処理として、後鳥羽上皇は隠岐に、その皇子である順徳上皇は佐渡に送られた。同じく皇子にあたる土御門上皇は事変には関わりがなかったが、両上皇の配流を見るに忍びず、進んで土佐に移られた。

 北条一門は、三上皇を遠島に配流する名分を「天下万民のため」とした。そして土御門上皇の皇子の仲恭天皇にかわって、後鳥羽院とは別系の後堀河天皇が皇位を継がれた。

 他国なら、ここで皇室など廃止して、北条氏自らが新たな皇帝となる所だろう。しかし、我が国においては、天皇の権威のもとで、自らが統治者としての正統性を得て、国家を統治するという頼朝の発案した幕府制度がそのまま継続されたのである。

 この幕府政治は、江戸時代末まで800年近く続いた事からも、日本の政治伝統に根ざした叡知であったことが分かる。さらに明治以降の帝国憲法も、現在の日本国憲法にしても、統治者の選び方は変われど、天皇が統治者に正統性を与える、という点では変わらない。

 武家が実権を握る新しい時代に、日本の伝統的叡知を幕府政治という形で具現化したのが頼朝であり、それを現実政治の中で確立したのが北条氏であった。
(文責:伊勢雅臣)

■リンク■

a. JOG(893) 歴史教科書読み比べ(20):源平合戦と「錦の御旗」
「錦の御旗」が速やかな国内再統一をもたらした。
http://blog.jog-net.jp/201503/article_9.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 五味文彦他『新編 新しい社会 歴史』、東京書籍、H17検定済み

2.藤岡信勝『新しい歴史教科書─市販本 中学社会』★★★、自由社、H23
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4915237613/japanontheg01-22/

3.村尾次郎『民族の生命の流れ』★★★、日本教文社、S48
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/B000J9FWMI/japanontheg01-22/

4. 上横手雅敬『日本の歴史文庫06 源平の盛衰』★★、講談社、S50
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/B000J9ETFO/japanontheg01-22/


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終戦直前の「皇后寄付」の全容判明 赤十字に1千万スイスフラン 共同


★阿修羅♪ Ψ空耳の丘Ψ14より転載
投稿者 倉田佳典 日時 2001 年 8 月 13 日 18:30:52:

※このニュース、共同通信で再三差し替えがありました。
一応、重複しますが、各配信が微妙に異なりますので、入手できたものをすべて転載させていただきます。

08/13 08:31 「皇后寄付」の全容判明 赤十字に1千万スイスフラ 外信10

 【ジュネーブ13日共同=藤井靖】日本が一九四五年八月の終戦
直前、スイスの赤十字国際委員会(ICRC)に対し、昭和天皇の
香淳皇后名で一千万スイスフランの巨額寄付を提示、極東委員会が
禁止決定を出したものの、赤十字がこれを覆して戦後の四九年、秘
密裏に送金が実行された経過が十日、スイス政府やICRCの公文
書で分かった。                       
 寄付は横浜正金銀行(旧東京銀行の前身)がスイス国立銀行に保
有し「日本の秘密口座」と呼ばれた「特別勘定」から拠出された。
日本が皇后名の寄付を申し出た事実は英公文書で確認されているが
、その動機は不明。公文書は米英両国にスイス、ICRCを巻き込
んだ送金実行までの四年間にわたる「攻防」の詳細を明らかにして
いる。            
 一千万スイスフランは現在のレートで約七億円。当時と現在の購
買力を単純比較すると約三十三億円に上る。          
 約五十通の公文書を総合すると、東郷茂徳外相(当時)が四五年
八月七日、ICRCの駐日代表に一千万スイスフランの寄付決定を
伝達。駐日代表は九日、受諾すると答えたが、通信事情が悪くジュ
ネーブのICRC本部に伝えたのは終戦直後の八月十七日になった
。                             
 スイス政府は前日の十六日、米英などとの合意に基づきスイス国
内の日本資産を凍結していた。特別勘定におさめられていたのは「
本来は米英捕虜の待遇改善を目的に送金したカネ」だとして、寄付
の形で動かすことを阻もうとする米英と、寄付の正当性を主張する
スイス政府、ICRCが対立した。              
 紛争は四六年六月、極東委員会と連合国軍総司令部(GHQ)に
付された。極東委員会は同年十月「ICRCの主張に根拠はない」
として送金禁止を決定。しかしICRCは米国の弁護士を雇い、巻
き返しに成功。米国務省は四九年三月、スイス政府の裁量を認めて
送金に同意。英国も四九年五月「所有権の主張」を撤回した。  
 送金は四九年五月末。スイスが横浜正金の資金凍結を解除して実
行された。ICRCは英国への配慮から一連のプロセスを「極秘」
扱いとし、日本にも細かい経過を知らせなかった。       

安倍首相や外務省が尻尾を振っている勢力は原爆投下、東京大空襲、3.11事件の下手人の末裔だ!:ハーメルンの笛吹き男の伝説が日本で現実化し、日本の若者は米軍の傭兵として犠牲にされるのか

新ベンチャー革命2015年2月11日 No.1060 より転載

1.2015年の日本はハーメルンの笛吹き男に象徴される何者かによって後進国レベルに転落させられる?



 本ブログ(注1)にて、英経済雑誌エコノミスト表紙の黙示画(注2)について取り上げました。本ブログでは、この絵の左下でカップラーメンをすする子供が日本および日本の代表・安倍首相を象徴しているとみています。



 その左にハーメルンの笛吹き男(注3)が描かれていますが、どう見ても、日本に向かって笛を吹いているようにみえます。2015年の日本はハーメルンの笛吹き男に象徴される何者かによって、ドイツ・ハーメルンと同様の目に遭わされると本黙示画は暗示していると解釈できます。



 この黙示画は世界を闇支配する世界的寡頭勢力の一員である欧州寡頭勢力による対日黙示画と本ブログではみています。



 さて本ブログは米国戦争屋をメインテーマとしていますが、この黙示画では右下のスパイダーマンが米戦争屋を象徴しているとみています。



 さらに、左脇に立つハーメルンの笛吹き男も、日本を属国支配する米戦争屋を象徴しているとみています。



なお、上記、米国戦争屋(世界的寡頭勢力の主要構成メンバー)およびそのロボット・悪徳ペンタゴンまたは悪徳ヘキサゴンを構成する日本人勢力の定義は本ブログNo.816の注記をご覧ください。



2.安倍首相は、戦時中、日本人の殲滅を狙った勢力の末裔に尻尾を振っていると知れ!



 近年まで世界第二位の経済大国だった日本は子供のようなちっぽけな小国に成り下がり、カップラーメンで飢えをしのぐほど貧乏化すると黙示画が暗示していますが、日本がそうなるのは、ハーメルンの笛吹き男に象徴される米戦争屋によって転落させられるからと解釈できます。



 そう言えば、今日の建国記念日にNHKはなぜか東京大空襲の番組をやっていました(注4)。NHKはすでに安倍政権に乗っ取られていますが、安倍政権を乗っ取っているのは東京大空襲の下手人と同系列の米戦争屋勢力です。



 ちなみに11万5000人もの日本人を焼き殺した東京大空襲に使われた焼夷弾は木造家屋を燃えやすくするために特別に開発されています。ここでわれら日本人は再認識すべきですが、東京大空襲や原爆投下で犠牲にされた日本人は無辜(むこ)の一般人ですから、彼らは戦争に便乗してすべての日本人の殲滅を狙っていたわけです、安倍氏や、外務省など悪徳ペンタゴン日本人勢力はこのようなサタニスト勢力の末裔に尻尾を振っているわけです、到底、許されません。こんな安倍氏や悪徳ペンタゴン日本人の日本支配を許すお人好し日本人の気が知れません。



3.われら日本人は、米国戦争屋ステルス勢力の手のひらで踊らされていることに気付くべき



 筆者は現代世界を支配しているのは世界的寡頭勢力(ビルダーバーグ勢力)とみていますが、彼ら世界的寡頭勢力は米戦争屋と欧州寡頭勢力で構成されるとみています、そして、米戦争屋をオリゴA、そして、この黙示画の提供者・欧州寡頭勢力をオリゴBとして、彼らの正体について、すでに分析しています(注5)。



 ちなみに、本ブログでは、今の米国覇権はオバマ政権を背後から操る欧州寡頭勢力に支配されており、米政権から6年も下野している米戦争屋が必死で巻き返そうと躍起になっていると分析しています。その観点から、イスラム国の暴走も、ウクライナ紛争もすべて、米戦争屋CIAネオコンが背後で暗躍しているとみています。その米戦争屋ネオコンの横暴と暴走に欧州寡頭勢力は手を焼いているわけです。



 欧州寡頭勢力は2009年に小沢・鳩山政権が誕生した際、日本から米戦争屋を追い出して、代わって日本を支配しようと企みましたが、それに激怒した米戦争屋が悪徳ペンタゴン日本人勢力を総動員して全力を挙げて、親・欧州寡頭勢力の小沢氏を失脚させ、現在の米戦争屋パペット・安倍氏を首相に仕立てて、今日に至っています。そして、彼ら米戦争屋は米国で下野している腹いせに日本のステルス支配を一層強化しています。今では彼らのカモ・日本は米戦争屋の資金源であり、近未来、自衛隊を米軍の傭兵として拠出させようと企んでいます。



 その日本の悲惨な現状に日本国民の多くが気付いていないので、欧州寡頭勢力は、上記の黙示画で能天気日本国民に暗示していると解釈できます。



 ところで、日本のマスコミは米戦争屋に厳しく監視されており、米戦争屋に不利な報道は御法度(ごはっと)です。そのため、ステルス化している米戦争屋が実質的に日本を乗っ取っている現実に日本国民の多くは気付いていません、だから上記、黙示画にて、それを気付かせようとしています。



4.日本をステルス支配している米戦争屋は原爆投下、東京大空襲、3.11事件の下手人の末裔かもしれないと疑うべき



 上記、黙示画は米戦争屋の対日ステルス支配をハーメルンの笛吹き男に象徴させていますが、このまま、彼らのステルス支配に日本国民が気付かなければ、日本は滅ぼされると上記、黙示画は警告しているようです。



 本ブログでは、日本に太平洋戦争を仕掛けた米国寡頭勢力の末裔が今の米戦争屋であるとみています、したがって、原爆投下の実行犯、東京大空襲による日本人皆殺しの実行犯は米戦争屋勢力の先輩たちです、このことを指摘した安倍氏の先輩・中川昭一氏(注6)は2009年に不審死させられました(注7)。さらに、2009年、アンチ米戦争屋の小沢氏が政権交代を果たしたので、その仕返しに小沢氏の選挙区沖で3.11事件を起こされたのですが、その実行犯も米戦争屋勢力が疑われます。



 われら日本人は、今の日本は、上記のような米戦争屋に乗っ取られていると認識すべきです、平和憲法廃棄も、自衛隊の米軍傭兵化も、農協の解体も、TPP強制もすべて、米戦争屋の対日戦略なのです、そこに、安倍氏の意思はまったくありません。安倍氏はハーメルンの笛吹き男の笛で踊らされているだけです。その結果、日本は滅亡の方向にまっしぐらということです。最悪、日本の若者は米軍の傭兵として徴兵されて死んでいくことが、暗示されています。



 われら日本国民は全員、知りましょう、ハーメルンの笛吹き男の伝説と、ハーメルンの笛吹き男・米戦争屋の笛で踊らされている安倍氏のあわれな姿を・・・、さもないと、日本の若者に未来はないのです。ちなみに、60年代安保時代に安倍氏の祖父・岸信介を退陣させたのは、日本人の大人ではなく、安保反対の若者でした。その半世紀後、日本の若者は再び、岸信介の孫・安倍氏を退陣に追い込むべきです、さもないと、ハーメルンの笛吹き男の伝説が現代日本で現実化します。



注1:本ブログNo.1050『米国オバマ政権と米国中央銀行FRBを牛耳る欧州寡頭勢力の黙示録:2015年の日本は経済パニックを仕掛けられ、戦争に巻き込まれて大苦境に陥るのか』2015年1月27日

http://blogs.yahoo.co.jp/hisa_yamamot/34597002.html



注2:エコノミスト表紙の高精細画像

https://socioecohistory.files.wordpress.com/2015/01/economist_magazine_jan2015.jpg



注3:ハーメルンの笛吹き男

http://www.cosmos.zaq.jp/t_rex/works/works_7_g.html



注4:TVでた蔵“カラーでよみがえる東京〜不死鳥都市の100年〜”2015年2月11日

http://datazoo.jp/tv/NHK%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB/829887



注5:2025年世界シナリオがグローバルMOT(技術経営)に与える示唆、2010年

https://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/31139/1/WasedaKokusaiKeieiKenkyu_41_Yamamoto2.pdf



注6:ベンチャー革命No.214『本間税調会長辞任と中川反米発言』2006年12月21日

http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-Oakland/1386/mvr214.htm



注7:本ブログNo.32『中川元財務大臣:衝撃の突然死を憂う』2009年10月5日

http://blogs.yahoo.co.jp/hisa_yamamot/1590722.html



ベンチャー革命投稿の過去ログ
http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-Oakland/1386/melma.htm



テックベンチャー投稿の過去ログ

http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-PaloAlto/8285/column-top.html
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