米支配層の予定通りにトランプ政権は中国と戦争を開始、その手先になったインド首相と安倍首相

米国の情勢について2つのブログを転載します。
2つ目は2017年8月22日   桜井ジャーナルの転載です。
以下転載
米支配層の予定通りにトランプ政権は中国と戦争を開始、その手先になったインド首相と安倍首相

アメリカ軍と韓国軍は大規模な軍事演習を8月21日から31日にかけて実施するようだ。ドナルド・トランプ政権へ潜り込んだネオコンのひとり、H・R・マクマスター国家安全保障補佐官は朝鮮半島で「予防戦争」を含むオプションの準備をしていると語っているが、本ブログでは何度も書いているように、アメリカが見ている相手は朝鮮でなく中国だ。

実際、東アジアの軍事的な緊張を高めてきたアメリカでは議会が中国との経済戦争をトランプ大統領に強要、この動きの中で日本が果たした役割は大きい。2009年9月にアメリカを訪問した鳩山由起夫首相(当時)は中国の胡錦濤国家主席に対し、東シナ海を「友愛の海にすべきだ」と語り、「東アジア共同体」構想を示したという。その鳩山首相を日本のマスコミと検察は共同で引きずり下ろし、菅直人が10年6月から首相になる。

その3カ月後、尖閣諸島付近で操業していた中国の漁船を海上保安庁が「日中漁業協定」を無視する形で取り締まり、漁船の船長を逮捕。この逮捕劇の責任者は国土交通大臣だった前原誠司だ。漁業協定に従うならば、日本と中国は自国の漁船を取締り、相手国漁船の問題は外交ルートでの注意喚起を行わなければならなかった。

この出来事によって日本と中国との関係は悪化するが、2011年3月11日に東日本の太平洋側で巨大地震が発生、東電の福島第一原発が過酷事故を起こした。好運が重なって東日本が全滅するという事態は避けられたが、国が滅亡する可能性はあった。そこで日中の関係悪化どころの話ではなくなる。

しかし、原発事故の実態隠しに成功した支配層は中国との関係悪化を再び画策する。例えば、2011年12月に石原慎太郎都知事(当時)の息子、石原伸晃がハドソン研究所で講演、尖閣諸島を公的な管理下に置いて自衛隊を常駐させ、軍事予算を大きく増やすと発言したのだ。2012年4月には石原知事がヘリテージ財団主催のシンポジウムで尖閣諸島の魚釣島、北小島、南児島を東京都が買い取る意向を示し、中国で日本に対する反発が強まる。

中国に対する攻撃にインドを引き込む上でも日本は重要な役割を果たした。アメリカの支配層が恐れる中国の一帯一路政策に対抗するために安倍晋三首相とインドのナレンドラ・モディ首相は2016年11月にAAGC(アジア・アフリカ成長回廊)を生み出している。今年5月末にモディは一帯一路を拒否する意思を明確にした。

その一方、2016年11月に日本からインドへ核燃料のほか原子力発電に関する施設や技術を提供することで両国は合意、今年5月に衆議院はこれを承認している。原発だけではなく、核兵器の開発に関係している可能性もあるだろう。AAGCと同じように、核技術の移転をアメリカ支配層の承認無しに日本政府が実行できるとは思えない。世界的に評判が悪いアメリカは背後に隠れ、日本にやらせたということだろう。

モディ首相は南アジアで最もイスラエルに近いと言われている人物だが、そのモディは今年2月末、あるいは3月の初めに腹心で情報機関のトップだったこともある人物をイスラエルへ派遣した。モディ本人は6月下旬にアメリカでトランプ大統領と会った後、7月上旬にイスラエルを訪問している。



その間、6月中旬にインド軍部隊が中国の道路建設を止めるためにドクラムへ侵入、両国の軍事的な緊張は一気に高まった。軍事衝突に発展する可能性は否定できない。また、アメリカ支配層は新疆ウイグル自治区にアル・カイダ系武装集団、あるいはダーイッシュを侵入させている可能性が高く、ここでも何らかの破壊活動を始めるかもしれない。

AAGCを考えた大きな理由は資源の宝庫であるアフリカ大陸の支配。欧米の植民地として食い物にされてきたアフリカを自立させようとしたリビアのムアマル・アル・カダフィ体制を倒し、カダフィ本人を惨殺、リビアを破綻国家にした理由もそこにある。





米支配層の予定通りにトランプ政権は中国と戦争を開始、その手先になったインド首相と安倍首相
カテゴリ:カテゴリ未分類
アメリカ軍と韓国軍は大規模な軍事演習を8月21日から31日にかけて実施するようだ。ドナルド・トランプ政権へ潜り込んだネオコンのひとり、H・R・マクマスター国家安全保障補佐官は朝鮮半島で「予防戦争」を含むオプションの準備をしていると語っているが、本ブログでは何度も書いているように、アメリカが見ている相手は朝鮮でなく中国だ。

実際、東アジアの軍事的な緊張を高めてきたアメリカでは議会が中国との経済戦争をトランプ大統領に強要、この動きの中で日本が果たした役割は大きい。2009年9月にアメリカを訪問した鳩山由起夫首相(当時)は中国の胡錦濤国家主席に対し、東シナ海を「友愛の海にすべきだ」と語り、「東アジア共同体」構想を示したという。その鳩山首相を日本のマスコミと検察は共同で引きずり下ろし、菅直人が10年6月から首相になる。

その3カ月後、尖閣諸島付近で操業していた中国の漁船を海上保安庁が「日中漁業協定」を無視する形で取り締まり、漁船の船長を逮捕。この逮捕劇の責任者は国土交通大臣だった前原誠司だ。漁業協定に従うならば、日本と中国は自国の漁船を取締り、相手国漁船の問題は外交ルートでの注意喚起を行わなければならなかった。

この出来事によって日本と中国との関係は悪化するが、2011年3月11日に東日本の太平洋側で巨大地震が発生、東電の福島第一原発が過酷事故を起こした。好運が重なって東日本が全滅するという事態は避けられたが、国が滅亡する可能性はあった。そこで日中の関係悪化どころの話ではなくなる。

しかし、原発事故の実態隠しに成功した支配層は中国との関係悪化を再び画策する。例えば、2011年12月に石原慎太郎都知事(当時)の息子、石原伸晃がハドソン研究所で講演、尖閣諸島を公的な管理下に置いて自衛隊を常駐させ、軍事予算を大きく増やすと発言したのだ。2012年4月には石原知事がヘリテージ財団主催のシンポジウムで尖閣諸島の魚釣島、北小島、南児島を東京都が買い取る意向を示し、中国で日本に対する反発が強まる。

中国に対する攻撃にインドを引き込む上でも日本は重要な役割を果たした。アメリカの支配層が恐れる中国の一帯一路政策に対抗するために安倍晋三首相とインドのナレンドラ・モディ首相は2016年11月にAAGC(アジア・アフリカ成長回廊)を生み出している。今年5月末にモディは一帯一路を拒否する意思を明確にした。

その一方、2016年11月に日本からインドへ核燃料のほか原子力発電に関する施設や技術を提供することで両国は合意、今年5月に衆議院はこれを承認している。原発だけではなく、核兵器の開発に関係している可能性もあるだろう。AAGCと同じように、核技術の移転をアメリカ支配層の承認無しに日本政府が実行できるとは思えない。世界的に評判が悪いアメリカは背後に隠れ、日本にやらせたということだろう。

モディ首相は南アジアで最もイスラエルに近いと言われている人物だが、そのモディは今年2月末、あるいは3月の初めに腹心で情報機関のトップだったこともある人物をイスラエルへ派遣した。モディ本人は6月下旬にアメリカでトランプ大統領と会った後、7月上旬にイスラエルを訪問している。



その間、6月中旬にインド軍部隊が中国の道路建設を止めるためにドクラムへ侵入、両国の軍事的な緊張は一気に高まった。軍事衝突に発展する可能性は否定できない。また、アメリカ支配層は新疆ウイグル自治区にアル・カイダ系武装集団、あるいはダーイッシュを侵入させている可能性が高く、ここでも何らかの破壊活動を始めるかもしれない。

AAGCを考えた大きな理由は資源の宝庫であるアフリカ大陸の支配。欧米の植民地として食い物にされてきたアフリカを自立させようとしたリビアのムアマル・アル・カダフィ体制を倒し、カダフィ本人を惨殺、リビアを破綻国家にした理由もそこにある。




米支配層の予定通りにトランプ政権は中国と戦争を開始、その手先になったインド首相と安倍首相
カテゴリ:カテゴリ未分類
アメリカ軍と韓国軍は大規模な軍事演習を8月21日から31日にかけて実施するようだ。ドナルド・トランプ政権へ潜り込んだネオコンのひとり、H・R・マクマスター国家安全保障補佐官は朝鮮半島で「予防戦争」を含むオプションの準備をしていると語っているが、本ブログでは何度も書いているように、アメリカが見ている相手は朝鮮でなく中国だ。

実際、東アジアの軍事的な緊張を高めてきたアメリカでは議会が中国との経済戦争をトランプ大統領に強要、この動きの中で日本が果たした役割は大きい。2009年9月にアメリカを訪問した鳩山由起夫首相(当時)は中国の胡錦濤国家主席に対し、東シナ海を「友愛の海にすべきだ」と語り、「東アジア共同体」構想を示したという。その鳩山首相を日本のマスコミと検察は共同で引きずり下ろし、菅直人が10年6月から首相になる。

その3カ月後、尖閣諸島付近で操業していた中国の漁船を海上保安庁が「日中漁業協定」を無視する形で取り締まり、漁船の船長を逮捕。この逮捕劇の責任者は国土交通大臣だった前原誠司だ。漁業協定に従うならば、日本と中国は自国の漁船を取締り、相手国漁船の問題は外交ルートでの注意喚起を行わなければならなかった。

この出来事によって日本と中国との関係は悪化するが、2011年3月11日に東日本の太平洋側で巨大地震が発生、東電の福島第一原発が過酷事故を起こした。好運が重なって東日本が全滅するという事態は避けられたが、国が滅亡する可能性はあった。そこで日中の関係悪化どころの話ではなくなる。

しかし、原発事故の実態隠しに成功した支配層は中国との関係悪化を再び画策する。例えば、2011年12月に石原慎太郎都知事(当時)の息子、石原伸晃がハドソン研究所で講演、尖閣諸島を公的な管理下に置いて自衛隊を常駐させ、軍事予算を大きく増やすと発言したのだ。2012年4月には石原知事がヘリテージ財団主催のシンポジウムで尖閣諸島の魚釣島、北小島、南児島を東京都が買い取る意向を示し、中国で日本に対する反発が強まる。

中国に対する攻撃にインドを引き込む上でも日本は重要な役割を果たした。アメリカの支配層が恐れる中国の一帯一路政策に対抗するために安倍晋三首相とインドのナレンドラ・モディ首相は2016年11月にAAGC(アジア・アフリカ成長回廊)を生み出している。今年5月末にモディは一帯一路を拒否する意思を明確にした。

その一方、2016年11月に日本からインドへ核燃料のほか原子力発電に関する施設や技術を提供することで両国は合意、今年5月に衆議院はこれを承認している。原発だけではなく、核兵器の開発に関係している可能性もあるだろう。AAGCと同じように、核技術の移転をアメリカ支配層の承認無しに日本政府が実行できるとは思えない。世界的に評判が悪いアメリカは背後に隠れ、日本にやらせたということだろう。

モディ首相は南アジアで最もイスラエルに近いと言われている人物だが、そのモディは今年2月末、あるいは3月の初めに腹心で情報機関のトップだったこともある人物をイスラエルへ派遣した。モディ本人は6月下旬にアメリカでトランプ大統領と会った後、7月上旬にイスラエルを訪問している。



その間、6月中旬にインド軍部隊が中国の道路建設を止めるためにドクラムへ侵入、両国の軍事的な緊張は一気に高まった。軍事衝突に発展する可能性は否定できない。また、アメリカ支配層は新疆ウイグル自治区にアル・カイダ系武装集団、あるいはダーイッシュを侵入させている可能性が高く、ここでも何らかの破壊活動を始めるかもしれない。

AAGCを考えた大きな理由は資源の宝庫であるアフリカ大陸の支配。欧米の植民地として食い物にされてきたアフリカを自立させようとしたリビアのムアマル・アル・カダフィ体制を倒し、カダフィ本人を惨殺、リビアを破綻国家にした理由もそこにある。

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バノン辞任と米国内紛の激化

米国の情勢について2つのブログを転載します。
1つ目は2017年8月21日   田中 宇の転載です。
以下転載
バノン辞任と米国内紛の激化
2017年8月21日   田中 宇

 米国トランプ政権の首席戦略官だったスティーブ・バノンが、8月18日に辞任した。バノンは、トランプ政権の「米国第一主義」(経済ナショナリズム、覇権放棄、軍産独裁解体)の戦略を作った人で、トランプにとって最重要な側近だった。トランプは昨年の選挙戦で、共和党内の主流派・軍産エスタブ勢力と折り合うため、政権内に、ペンス副大統領を筆頭に、軍産系の勢力を入れざるを得ず、今年1月の就任後、政権内ではバノンら「ナショナリスト」と、ペンスやマクマスター(安保担当大統領補佐官、元軍人)ら軍産の「グローバリスト」との戦いが続いてきた。 (Bannon: 'The Trump Presidency That We Fought For, and Won, Is Over.') (軍産に勝てないが粘り腰のトランプ)

 軍産系は、マスコミと組んで「ロシアのスパイ」スキャンダルを針小棒大にでっち上げ、フリン(前安保担当大統領補佐官、2月辞任)、プリーバス(前首席補佐官、7月末辞任)など、ナショナリスト陣営の側近たちを辞めさせていった。バノンも4月に、世界戦略を決める重要なNSC(国家安保会議)の常任メンバーから外されたが、それでもトランプ自身がナショナリスト側であるため、人事で負けても、政権として打ち出す政策は、バノンが決めた線が維持されてきた。ただし、大統領権限でやれる外交や貿易は、トランプ・バノン流でやれたが、国内の税制改革や財政出動策、移民抑止策などは、議会や裁判所に阻止され、ほとんど進んでいない。 (軍産複合体と正攻法で戦うのをやめたトランプのシリア攻撃) (Which Way for the Trump Administration? Author: Justin Raimondo)

 にらみ合いの中、経済政策が進まないため、就任当初はトランプを支持していた財界人たちが、議会や軍産を支持する傾向を強め、反トランプの圧力が強まり、7月下旬に、大統領首席補佐官がバノン派のプリーバスから軍産系のジョン・ケリー(元将軍)に交代させられた。ケリーはマクマスターと組み、NSC内でイランとの核協定を破棄したがる(過激で無茶なイラン敵視によって、欧州や中露とイランを結束させ米国自身を孤立させる隠れ多極主義な)バノン派を立て続けに3人(Ezra Cohen-Watnick, Derek Harvey, Rich Higgins)を辞めさせ、トランプのツイートも規制しようとした。対抗してトランプは、ケリーの目が届かない休暇中に、好き放題にマスゴミや民主党を非難するツイートを発信して報復した。だがその後、トランプはしだいに抵抗しにくくなった。 (Inside the McMaster-Bannon War) (Kelly Loses Control As "Vacationing" Trump Unleashes Angriest Tweetstorm Yet)

 ケリーは政権内の軍産系を結束し、トランプに圧力をかけてバノンの解雇を了承させた。8月18日に、政権のアフガニスタン占領政策の今後を決める重要な会議があり、その会議の前に、アフガンへの米軍増派を望む軍産としては、アフガンからの撤退を主張するバノンを追放したかった。ちょうど8月11日に、バージニア州シャーロッツビルで、南北戦争時代の南軍のリー将軍の銅像撤去に反対する「極右」(白人至上主義、KKKなど)の集会と、銅像撤去に賛成する「リベラル過激派」の集会が衝突し、極右青年がリベラルの集会に車を突っ込んで死傷させる事件が起きた。 (Kelly’s Rules for Trump’s West Wing: Stop Bickering, Get in Early, Make an Appointment) (Trump Continues to Resist Pressure for Afghan Escalation)

 この事件を機に、以前からバノンを極右の仲間(オルト・ライト、新右翼)と批判してきた軍産マスコミは、バノンへの辞任要求を強めた。考え方がバノンと近いトランプも、極右を非難したがらず、右翼の中にも良い奴がいるとか、喧嘩両成敗的な発言を行ったため、トランプの顧問団をしていた財界人や文化人ら、自分の名声を重視せねばならない人々が、顧問をやめる表明を相次いで出し、トランプへの非難も強まった。バノンとトランプへの猛攻撃のなか、トランプはバノンの更迭(解雇)を了承した。 (Trump’s arts team disbands over Charlottesville remarks)

▼バノン辞任で経済政策での共和党の妨害をやめさせ、バブルと政権を延命したいトランプ

 バノンが辞めた後、トランプは、貿易と外交軍事の分野で、相次いでバノンの策を放棄し、軍産・共和党主流派に譲歩している。トランプは、アフガン占領に関して、軍産が求める最低限である4千人の米軍増派を認めそうだ(8月22日にテレビ発表する)。バノンが立てた、日中やカナダからの鉄鋼輸入に報復関税をかける案や、中国と貿易戦争する策も、棚上げされると報じられた。隠れ多極主義策として中国を敵視するバノンがやめた途端、中国政府がトランプに、年内に訪中してほしいと招待してきた。 (Trump targets tax reform to reconnect with Republicans) (Xi: China welcomes Trump's visit by year end)

 トランプは、バノンが立てた戦略を放棄することにして、バノンを辞めさせたのか。そうではないだろう。覇権放棄と経済ナショナリズムを組み合わせた米国第一主義によって、米国と世界の軍産支配を壊しつつ、リベラル主義の席巻で政治的に疎外されてきた、大都会でなく地方に住む、中産階級や貧困層の白人の支持を集めて政治力を維持するバノンの戦略を、トランプはまだ必要としている。覇権放棄・軍産退治・反リベラルは、16年夏にバノンを起用する前からのトランプの姿勢だった。 (Why Steve Bannon isn’t going anywhere) (Steve Bannon's Departure Won't Change Donald Trump)

 トランプが、盟友であるバノンを辞めさせ、バノンが立てた策を棚上げした理由は、そうしないと税制改革(減税)やインフラ整備の財政出動、財政赤字上限の引き上げ、来年度政府予算の編成などが共和党の主流派や茶会派に阻まれたままになり、株価の急落、赤字上限引き上げ失敗による政府閉鎖や、米国債の利払い不能(デフォルト)が起きてしまうからだろう。財政赤字上限は、夏休み明けの米議会再開から12日後の9月29日までに引き上げる必要がある。審議時間が少ない。赤字上限の引き上げ失敗は、株価の急落につながると、議会予算局(CBO)の元局長らが警告している。FT紙も最近、米国の株価は高すぎるので買わない方が良いと明確に書いている。 (Former CBO Director: The Fall Will Be "Very Scary", Expect A Market Crash) (Investors should be wary of overvalued US stocks)

 共和党主流派は、米国の金融界や大企業、金持ちの代理人であり、金融財政の混乱を好まない。トランプ自身、大金持ちの財界人の一人だ。トランプがバノンを辞めさせる代わりに、共和党が赤字上限の引き上げや税制改革などを議会で通すという合意が交わされた可能性がある。バノンは、金融界や大企業による支配を敵視している(彼も元ゴールドマンサックスだが)。しかしその一方でバノンは、トランプが政権を維持し、覇権放棄や軍産退治を進めることも願っており、辞任に応じることにしたのだろう。 (Goldman Sees 50% Chance Of A Government Shutdown) (Don’t fall for the White House spin on Stephen Bannon’s ouster)

 バノンは、辞任する数週間前から、大統領府(ホワイトハウス)に居続けるより、古巣のブライトバードに戻り、政府外で、軍産リベラルやエリート、マスコミなどトランプの敵と戦った方がやりやすいと、周囲に漏らしていたという。トランプ政権が始まって半年経ち、トランプは政権運営の技能をかなり高めた。バノンの助力がなくても、トランプはやっていける。半面、バノンは大統領府にいる限り、軍産マスコミの標的にされ、動きを妨害され、封じ込められ続ける。このあたりで辞任して、外からトランプの軍産との格闘や再選を支援した方が良いと、バノン自身が考えたとしても不思議でない。 (Steve Bannon is ousted as the president’s chief strategist)

▼南北戦争の対立構造の復活、米国社会の分裂、トランプ支持基盤の維持と多極化

 バノンが、大統領府の外にいた方がやりやすいトランプ支援策として最近新たに出てきたのが、南北戦争で負けた南軍を記念する、全米各地にある1500ほどある将軍や兵士の銅像や記念碑を、撤去していこうとするリベラル派(北軍の思想を継承)と、撤去を阻止しようとする右派との対立が、急速に激化しつつあり、これがそのまま反トランプと親トランプの戦いになっている構図だ。 (Oliver Stone: "1984 Is Here") (Here are 1,500 symbols of the Confederacy in the US)

 この対立は、2015年6月に、サウスカロライナ州チャールストンの黒人が集まるキリスト教会で、黒人を敵視する右派青年が銃を乱射した事件に始まった。犯人の青年が南軍の旗を好んでいたことから、全米の州議会などで、南軍の旗や銅像を人種差別を助長するものとみなして撤去する動きが広がった。これに対し、右派の市民運動が撤去反対を強め、それまでバラバラだった全米の各種の右翼や保守派が、南軍像撤去反対で結束するようになった。そして今回、8月11日にバージニア州シャーロッツビルで起きた、南軍像の撤去をめぐる左右両極の衝突事件で、再び全米的な議論になっている。 (Poll: Majority of Republicans Agree with Trump’s Response to Charlottesville Violence) (Charlottesville, Trump and “Angry White Males”)

 マスコミと、そこに出る著名人の多くはリベラル側なので、撤去反対派は、人種差別主義者・KKK・ネオナチなどのレッテルを貼られている。たしかに撤去反対派の中には、KKKやネオナチへの支持を表明する者たちもいる。チャールストン乱射事件もシャーロッツビル事件も、右派が、黒人やリベラルを殺害しており、その点でも撤去反対派=悪である。だがシャーロッツビルの衝突後、南軍像の撤去に反対する勢力は、人種差別主義を超えて、これまでの米国の社会でのリベラル主義の席巻・いきすぎによって、政治的に疎外されてきた地方の中産や貧困層の白人が、自分たちの尊厳を取り戻そうとする動きへと発展し始めている。 (Steve Bannon's work is done. Donald Trump doesn't need him now) ("The Entire Dynamic Has Changed" Far-Right Groups Becoming Increasingly Visible On Campus)

 これは、リベラル=ヒラリー・クリントンと、反・非リベラル=トランプが戦い、トランプが勝った昨年の大統領選挙の構図と同じである。この問題が全米的な話題であり続けるほど、撤去反対派は、KKKやネオナチを離れ、リベラル(軍産マスコミ)のいきすぎを是正すべきだと考える人々を吸収していく。それは、再選を狙うトランプの支持基盤の拡大になる。だからトランプは、シャーロッツビル事件に関して、自動車突っ込みの加害者となった右派(撤去反対派)を非難したがらず、喧嘩両成敗的なことを言い続けた。右派メディアのブライトバードの主催者に戻ったバノンは、再び盛り上がっていくリベラルvs右派の対立軸の中で、親トランプな右派の旗振り役となり、リベラル軍産・マスコミ・民主党との戦いという、彼が最も好む戦場で活躍できる。 (Ousted Steve Bannon pledges to turn fire on Donald Trump’s White House) (Steve Bannon: 'I'm leaving the White House and going to war')

 南北戦争の構図が復活するほど、米国社会は分裂がひどくなり、国家として統一した意思決定が困難になっていく。すでに右派のトランプ政権の就任後、リベラルや軍産が席巻する議会との対立で、国家的な意思決定ができない状態だ。トランプは大統領令を乱発し、覇権放棄をやっている。リベラルが強いカリフォルニア州では、トランプが権力を持つ米連邦からの分離独立を問う住民投票を行う政治運動が拡大している。米国内が分裂するほど、欧州など同盟国が米国に見切りをつけて中露を敵視しなくなり、米単独覇権が崩れて多極化が進む。 (Pat Buchanan Asks "In This Second American Civil War - Whose Side Are You On?") (Californians are talking about trying to leave the United States in a 'Calexit')

 トランプ政権は、(1)貿易や外交の分野での覇権放棄・貿易圏潰し、(2)国内経済のテコ入れ、政権維持策としてのバブル延命、(3)米国社会を分裂させて支持基盤を拡大、の3つの戦線をたたかっている。今回は、共和党に阻止されている(2)を進めるためバノンが辞任し、バノンは政府外に戻って(3)の推進に注力することにした。(1)は、バノンがいなくても進められる。(2)が失敗して今秋、米政府閉鎖や金融危機が起きると、トランプの人気は下がるが、米国覇権の衰退に拍車がかかり、トランプやバノンの目標である米覇権の解体が進む。 (多極型世界の始まり)

反資本主義左翼の復活

反資本主義左翼の復活
マスコミに載らない海外記事 2017年6月15日 (木)より転載
Wayne MADSEN
2017年6月13日
Strategic Culture Foundation

総選挙で、保守党首相テレサ・メイが議会の過半数獲得するのを阻止した、イギリス労働党党首ジェレミー・コービンの能力は、反資本主義左翼が復帰した証拠だ。コービンは、保守党と、スコットランド国民党のいくつかの議席を標的にして、労働党が30議席増やすことに成功した。

選挙前、大企業が行う世論調査や、マスコミは、保守党が、労働党より更に優位となり、労働党の屈辱的敗北を確実にし、コービンの政治生命が終わると予言していた。ところが逆に、庶民院(下院)で13議席を失い、不安定な少数派政権を形成すべく、右寄りの北アイルランド地域政党、民主統一党との交渉を強いられ、メイと保守党が面目を失った。

選挙運動中、コービンは、統治する能力のない極左として悪者扱いされた。イギリスの若い有権者の多くは、こうしたコービンの描き方を受け入れなかった。逆に、党創設の社会主義と労働者の権利という原則に取り組んでいるコービンの“基本に立ち返る”労働党が、選挙で活気づいた。メイと保守党が行ってきた緊縮の動き、トニー・ブレアとゴードン・ブラウンのまやかし労働党政府下で始まった緊縮政策を有権者が拒否したのだ。多国籍企業の利益をイギリス労働者階級の利益より優先する、一連の大企業よりグローバル政策をとり、ブレアとブラウンは労働党の労働者政策を長年放棄してきた。

そもそも、ブレアとブラウン首相の下で、労働党を、社会主義というルーツから離れさせたグローバル主義者の親欧州連合権益のために、自分たちが、労働党支配を取り戻すことが可能になる、コービンの徹底的な選挙敗北を、労働党内のブレア派は期待していた。労働者と学生に訴えるコービンの能力により、メイが議会の過半数をとり損ねたことで、ブレア派は非常に失望している。2016年のバーモント州選出の独立した社会主義上院議員、アメリカ民主党大統領志望者バーニー・サンダースと同様、コービンは、草の根選挙運動とソーシャル・メディアの巧みな利用の組み合わせで、支持者動員に成功した。サンダースは、遥々イギリスに赴き、三日間の全国講演旅行で、コービンを支持した。この行為は、アメリカとイギリス間の“特別な関係”が、ドナルド・トランプによって、ほとんど破壊されたとは言え、大西洋両岸の左翼政界内では、まだ強く残っていることを示す効果があった。伝統的な汎大西洋主義者ではないコービンは、イギリスの核抑止力とNATO同盟への関与に疑問を投じた。同様に、サンダースもアメリカの膨れ上がった軍事予算に疑問を投じていた。

メイ同様、ブレアも、英国を支配しているごく少数の権力者集団の手から力を奪う、ソーシャル・メディアとインターネットを忌み嫌っている。2007年、首相を辞任する直前、“公的生活を去るに当たっての講演”と彼が呼ぶもので、ブレアはインターネットを非難した。実際には、決して公的生活を去ってはいないブレアは、インターネットは“ひどく有害で、公正さに欠け、最新の陰謀論を五倍がけのようなものだ”と述べた。ブレアは、その後継者たち、ブラウン、デービッド・キャメロンやテレサ・メイと同様、既に、新聞とテレビを対象にしている規制当局を、インターネットも対象にすべく、改変したがっていた。ブレアにとってのインターネット問題は、1994年に、労働党党首ジョン・スミスが、突然心臓マヒにより死亡したのは、ブレアとブラウンが、党の支配を掌握し、スミスと彼の支持者の社会主義的傾向を弱体化するのを可能にした“余りに好都合過ぎる”ものであることを示したいくつかの記事だった。コービンは、今やスミスの早すぎる死につけこんだ連中から、労働党の支配権を奪還した。

コービンとサンダースは、強硬な資本主義者連中の背筋を凍らせた。コービンは、安全や確実なサービスよりも、利益を優先する強欲企業から取り上げて、イギリス鉄道を再国有化すると誓った。サンダースは、アメリカ合州国での国民皆保険制度を望んでいた。コービンは、ブレア、ブラウン、キャメロンとメイの下で始められた、国営医療サービス制度の民営化の着実な進展を止めたがっている。コービンもサンダースも、大学教育無料化を望んでいる。特に、イギリス労働党や、アメリカ民主党を乗っ取った緊縮政策を推進する大企業支配主義者によって破壊された悪化しつつある雇用見込みによってもたらされた荒廃状態を目にした若い有権者にとって、コービンとサンダースは、社会主義を“再びクール”にしたのだ。2000年代生まれの世代は、100パーセントの人々を代表する政府を指向するのではない、1パーセントの億万長者による支配を拒否する態勢を整えていたように見える。

コービンは、Brexit問題でも巧妙に振る舞った。イギリスが欧州連合内に残るよう精力的な選挙活動はせずに、コービンはこの問題では曖昧だった。自分を“残留”派にしないことで、コービンは、ルーマニア、ブルガリアやポーランドからイギリスに流入するEU移民労働者たちに雇用が手渡されるのを見飽きた労働者の間にも受けたのだ。基本的に、コービンは、左翼に対して、社会主義者は、イギリス主権や労働者階級の保護という点で、自滅的になる必要はないというメッセージを送ったのだ。コービンの姿勢は、ブレア、ブラウンや“グローバル主義者兄弟”エド・ミリバンドと、その兄、デイヴィッド・ミリバンドらが奉じていたグローバル主義者連中の言辞とは大違いだ

サンダースは、雇用、仕事の質と賃金という点で、アメリカ労働者に大変な犠牲を強いたグローバル主義者の“自由貿易”協定も拒否していた。グローバリゼーションと結びついた自由貿易協定を奉じる“リベラル”や“社会主義者”は、実際そうなのだが、にせで、まやかしで、詐欺であることをサンダースとコービンが暴いたのだ。

コービンと、彼に反対するブレア派による党乗っ取りと同様に、サンダースは、民主党の大企業寄り利権集団による容赦ない批判に直面した。企業寄りの民主党指導者会議(DLC)からの指示を受け、ビルとヒラリー・クリントン派は、サンダースは、極左で、本物の民主主義者ではなく、反企業だと非難した。実際、民主党指導者会議DLCの方針が民主党を余りに汚染したため、一般人の間で、非常に不評となり、連中は、名称を“第三の道”に変えて、“民主的”な装いをすっかり投げ捨てた。現在、大半の選挙後世論調査は、サンダースが、2016年民主党大統領候補だったら、彼はヒラリー・クリントンが負けた“寂れた元工業地帯”のミシガン州、ウィスコンシン州、ペンシルヴェニア州と、オハイオ州で勝利して、ドナルド・トランプを確実に破っていたはずだということで一致している。

フランス左翼指導者ジャン=リュック・メランションは、フランス人に、エマニュエル・マクロン大統領と、彼の新たな中道派「前進」と、労働者の権利を規制する大企業寄りの綱領を信じるなと警告した。フランス有権者の一部はメランションに同意して、有権者の僅か49パーセントしか投票しなかった一回目の議会選挙で、左翼票の多く、11パーセントを彼に投じた。

フランスで、長年左翼を支配してきた社会党は、投票のわずか7パーセントしかとれなかった。メランションは、マクロンに、これほど低い投票率では、大統領には、彼の反労働者的政策や、他の緊縮政策を実施する権能はないと警告した。6月18日の二回目の選挙で、マクロンの党は、577の国会議席中の約400議席を獲得すると予想されている。社会党を打ち破ったことで、メランションは、今やフランス左翼の名目上の指導者となり、もし、元ロスチャイルド銀行家、マクロンが、フランスを国際銀行家連中による緊縮政策専横下におけば、より強力な立場で登場する好位置にいる。銀行家連中と余り長期間踊っていた社会党は、左翼を代表する権利を喪失した。

イギリスにおけるコービンの成功は世界中に連鎖反応を引き起こした。オーストラリアでは、労働党左派が、イギリス選挙結果に乗じて、社会主義の価値観に立ち戻るよう、党指導部に強く要求している。ほとんど、ブレアやブラウンの亜流のオーストラリア野党、労働党党首ビル・ショーテンは、コービンに習って、より左へ路線変更するようにという左派労働党議員の要求に直面している。

ジェレミー・コービンとバーニー・サンダースが、左翼や社会主義者であっても何ら悪いことではないことを、世界に気づかせた。大企業政党は、協調したプロパガンダ・キャンペーンによって、左翼を悪者化するのに成功してきた。2016年選挙運動中、ドナルド・トランプは、サンダースを、“共産主義者”と繰り返し呼んだ。 マスコミはトランプの政策が、ありきたりのファシズムだという事実を無視して、このウソの評価を繰り返した。コービンとサンダースが社会主義を生き返らせたので、世界はそれにより相応しい場所となるだろう。

記事原文のurl:https://www.strategic-culture.org/news/2017/06/13/anti-capitalist-left-back.html
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トランプ大統領と呼ばれる危険な欺瞞

政治というプロレスみたいなショーを見せられているだけなのか?
来年の1月19日が始まれば解る。というコラム


マスコミに載らない海外記事 2016年11月25日より転載


トランプ大統領と呼ばれる危険な欺瞞
F. William Engdahl
2016年11月25日
New Eastern Outlook

トランプ大統領と呼ばれるプロジェクトが、正式に始まるのは、わずか二ヶ月後だ。だがドナルド・トランプは世界の多くが既に彼を思い描いている人物ではなく、彼らの希望も夢想も実現することはない。ドナルド・トランプは、トランプの親密な支援者の一人が、かつて普遍的ファシズムと呼んだ、連中が完全に支配する世界秩序、新世界秩序を、何度もしつこく、作りだそうとしている同じ退屈ないつもの家父長支配者連中によるもう一つのプロジェクトに過ぎない。いくつかの演説にある時折の素晴らしい言説は無視しよう。言うは易しだ。現在の閣僚任命という早い時期に姿を現しつつある狙いを検討すれば、ドナルド・トランプも、オバマや、彼の前任ブッシュ、ビル・クリントンや、クリントンの“教師”で、彼の前任ジョージ・H.W・ブッシュなどと同じで、戦争と、グローバル帝国が狙いであることがわかる。世界中がこれから、トランプ大統領で経験することになるものに良いことなど皆無だ。

‘紳士淑女の皆様、ショーの始まりです!’今日ご紹介するのは、ドナルド・トランプです。彼は皆様方の多くがお聞きになりたいことだけを語ってくれるでしょう。楽しませるのが上手な芸人トランプが、皆様に彼がアメリカを再び偉大にすると語ります。トランプは、少なくとも300万人の違法移民を、リオ・グランデ川対岸に送り返します。トランプは、ムスリム同胞団を、テロ組織だと宣言する法案を導入します。トランプは、中国や他の低賃金の国々から、アメリカに雇用を取り戻します。トランプは、プーチンじっくり話し合って、事態をおさめるよう、何らかの取り引きをまとめます。トランプは、オバマのイラン核協定を反故にします…

政策や候補者の考え方のまじめな議論というより、ハリウッド“D”級映画状態だったこの選挙運動で、トランプは、いわゆるブルーカラー労働者のみならず、1970年代以来、収入が実質的に減り、権利を奪われてきた中流階級の“声なき大衆”が共感する発言をすることが多かった。トランプは、ロナルド・レーガンという名のかつての俳優大統領と同様、彼が誠実であるかのように話す才能に恵まれているのだ。

トランプは、草の根革命か?

家父長的支配者- デイヴィッド・ロックフェラーやジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュなどの愛情のない老人連中や無名の他の連中- が、あらゆるスキャンダルを乗り越えて益々強力になる候補者トランプの政治的天才に圧倒されるあまり、彼らは驚嘆し、裏をかかれ、こういう事態になるのをうなるばかりだなどと一秒たりとも想像すべきではない。

トランプ大統領は、連中と、連中のシンクタンクによって、事細かに計画されているのだ。ごく単純に、連中が、ヒラリー・クリントンが代表する、戦争と、ロシアや中国との対決と、カダフィであれ、ムバラクであれ、あるいはプーチンであれ、連中に反対する、あらゆる政治指導者全員を、カラー革命で不安定化する政策を継続すれば、世界の膨大な部分に対する権力、極めて重要な地政学的権力を失うことになっていたはずなのだ。

比較的小さなアメリカの旧植民地の大統領が、アメリカ大統領を“売女の息子”と呼んであからさまに攻撃し、中国で、フィリピンのアメリカ合州国からの“離脱”を宣言するのをおそれず、他の国々も、次々と、ロシアや中国や、両国による一帯一路ユーラシア・インフラ大プロジェクトを巡るユーラシア経済の結束の進展に、より密接な経済的、政治的協力を進める今、代案の大統領を据える頃合いなのは明らかだった。

代案は、カジノの大物で、政治的に白紙状態で、権力にとりつかれた人物で、彼らの計画から外れないようる恐喝する理由に事欠かない、人々を恐れさせる上で大いに才能がある群で一番のオス、ドナルド・トランプというわけだ。

通常の心理学的定義を使うとすれば、ソシオパス、反社会的性格者という単語がぴったりだろうと思う。“文化の中の道徳や法的標準への尊重の欠如が特徴の反社会的な人格障害”。ナルシシズム、自己陶酔というのも、ふさわしい用語だろう。“極端な身勝手さ、自分自身の才能の大げさな評価、賞賛への願望”11年前のビリー・ブッシュとの“更衣室の会話”だといって彼が切り捨てたものだけでなく、彼の自叙伝にある、悪徳弁護士で指導者のロイ・コーンと、スタジオ54で、鼻からコカインを吸った昔の悪ふざけなどの記述を読み、彼の本当の生活史をもっと詳しく見よう。彼は決してJFKでも、シャルル・ド・ゴールでもなく、近いとさえ言えない。

私の確信をはっきりと申しあげておくので、2017年1月20日以降、トランプ大統領の政策が進展してから、私が正しかったか否かを確認するのに、これを思い出して頂きたい。ドナルド・トランプは、経済的あるいは産業的、あるいは他の形で、現在、地政学的に、勝てる立場にないウオール街の戦争銀行とアメリカ軍産複合体により、アメリカに戦争準備をさせるため、大統領の座に送り込まれたのだ。彼の仕事は、ディック・チェイニーやポール・ウォルフォウィッツのアメリカ新世紀プロジェクトが、2000年9月に報告した通り、“アメリカ防衛再建”をして、アメリカ世界覇権崩壊の流れを、彼らが逆転できるように、アメリカ合州国を復権させることだ。

この準備をするため、ロシアと中国との間で発展しつつある深いつながりを決定的に弱体化する欺瞞戦略が、最優先項目だ。それは既に始まっている。ドナルドから、モスクワのウラジーミル恐怖大王に、友好的な電話がかけられた。ロシア・マスコミはオバマ後の米露関係新時代に関して、幸福感に包まれている。そこに突然、戦争挑発屋のNATO事務総長、ストルテンベルグまで、ロシアに対して、うっとりするようなことを猫なで声で言い出した。カリフォルニア州下院議員で、プーチンの知り合いの、ダナ・ローラバッカーが国務長官になる可能性があるというアイデアが漏洩された。これは典型的なキッシンジャーの勢力均衡地政学-不倶戴天の敵二つのうち、弱い方ロシアと組み、より強い方、中国を孤立化させるもののように見える。たぶん、ウラジーミル・プーチンは、これに引っかかるほど、素朴でも、阿呆でもないだろうが、それがトランプ・ハンドラーの策謀だ。深化するロシア-中国協力を阻止する、そうした戦略を、この夏の発言で、ズビグニュー・ブレジンスキーも強く促していた。

1992年のブッシュ-ウォルフォウィッツ・ドクトリンを元にした-ユーラシアにおいて、いかなる国や国々の集団が、アメリカの単一超大国覇権に異議を申し立てることに対しても先手をうつという世界支配戦術を転換するという決定的役割を演じるべく(我々有権者によってではなく)選ばれた以上-彼の閣僚と主要政策顧問の選択は極めて重要だ。既に我々は、トランプ大統領と呼ばれる芝居に出演するよう選ばれた配役と、唯一の超大国戦略を設定しなおすために出現しつつある新策謀の概要を見ることができる。

配役表

この文章を書いている時点で、いくつかの主要役職者が指名されている。マイケル・フリン中将が、大統領の国家安全保障顧問だ。カンザス州のマイケル・ポンペオ下院議員がCIA長官だ。ジェフ・セッションズが司法長官で、スティーブン・K・バノンが、ホワイト・ハウス新設役職“首席戦略官”で大統領上級顧問だ。

本記事では、トランプの極めて重要な国家安全保障顧問となり、ホワイト・ハウス入りするであろうマイケル・フリン元中将に注目したい。いつもは洞察力が鋭いブロガーや専門家たちが、フリン任命を大喜びで歓迎している。彼らは、アメリカによる、ISISや、アルカイダのヌスラ戦線などのイスラム・テロ集団への秘密裏の支援に反対したことを引用している。2003年に、彼はイラク侵略は“戦略的な失敗”だったと公に発言している。しかも、フリンは、ロシアとの戦争を挑発するのには反対で、ISISや他の過激テロ組織に対し、戦争をするよう主張している。フリンが、対聖戦戦争よりも、対ロシア戦争を、より優先事項とするオバマの決定に反対し、 その目的からシリアのアサド大統領との協力を主張したことで、実際、オバマは、国防情報局長官のフリンを首にした。

対ISIS戦争、そして、おそらく、ヒラリー・クリントンやオバマ政権に大いに愛されたムスリム同胞団に対するフリンの立場は、平和を志向する人物のものではない。むしろ、それは、冷徹な、抜け目のない軍事専門家、戦争というグローバルな課題を推進するためにネタニヤフのリクード党との協力を優先する軍事専門家のものだ。

アサドと、ISISと、イラクに関するフリンの発言は、他の物事と無関係にでなく、ムスリム同胞団や他の狂信的なイスラム教テロリストを訓練して、帝国の代理戦争をしかけるという何十年もの長きにわたるCIAとペンタゴン政策が、とんでもない裏目にでたと考えている軍事諜報専門家のものとして見るべきなのだ。トルコのフェトフッラー・ギュレンのネットワークを利用した、CIAによる7月15日のクーデター未遂のみならず、CIAが支援するあらゆる聖戦、つまり、クリントン国務長官の対ムバラク戦争から、対カダフィに至るまで、多くのイスラム世界に対し、アメリカが支援する、ワシントンに忠実なムスリム同胞団テロ政権を押しつけようとするものは、ことごとく失敗した。その効果は、世界の大半が、ワシントンと、連中の絶えざるえざる代理戦争から離反することだった。

諜報軍事戦略家なら、他の案を採用する頃合いだと言うはずだ。これをフリンはしようとしているのだ。ムスリム同胞団や連携したテロ組織を利用するワシントンの政策をやめ、イスラエルの右翼ネタニヤフ・リクード政権とのより親密な全面協力復活への移行を彼は推進するだろう。

ベン・シャピロの保守的なブログ、デーリー・ワイアが報じている発言では、テロと中東問題に関するドナルド・トランプの顧問であるワリード・ファーレスが、エジプトマスコミに、こう言った。(オバマ政権が強く拒否し、議会がそうするのを阻止してきた)ムスリム同胞団をテロ組織として非合法化する取り組みをドナルド・トランプは支持する。

私の新刊、The Lost Hegemon: Whom the gods would destroyをお読み頂いた方なら、決して私が、1950年以来、CIAの闇の同盟者であるムスリム同胞団の友人などではないのをご存じだ。しかし現実は“私の敵の敵は私の味方だ”という言葉ほど単純なものではない。ドナルド・トランプのテロと中東に関する首席顧問ワリード・ファーレスは民主主義防衛財団FDDという名のきわめて親ネタニヤフの小規模シンクタンク上席研究員でもある。

民主主義防衛財団?

ワシントンを本拠とする民主主義防衛財団は、2001年9月11日の後、 ウェブサイトで宣言している通り“多元主義を推進し、民主的価値観を守り、テロを推進するイデオロギー戦うため”元共和党全国委員会の広報責任者、クリフォード・メイによって創設された。

民主主義防衛財団で注目すべき点は、次期大統領トランプに中東とテロについて助言する上席研究員、ワリード・ファーレスが、資金の要であることだ。民主主義防衛財団は、ベンヤミン・ネタニヤフと、イスラエルの地政学的な狙いに密接に結びついたアメリカ人億万長者集団によって資金提供されている。寄進者たちには、イスラエルのマスコミによれば、最後の重要な日々に、トランプの選挙運動に2500万ドル出した有名なラスヴェガスとマカオのギャンブル・カジノの大物シェルドン・アデルソンもいる。他のFDDに対する財政支援者たちには、親イスラエル組織に資金提供する長い実績を持ったユダヤ系アメリカ人たちがいる。ホーム・デポの共同創設者バーナード・マーカス。巨大ウイスキー事業相続人である、サミュエルと、エドガー・ブロンフマン。ウオール街の億万長者投機家、マイケル・スタインハートと、ポール・シンガーと、U.S. Healthcareの創始者、レオナード・アブラムソンだ。

イランとの核合意と経済制裁解除というオバマの狙いに反対して証言するよう依頼されたワシントンの主なシンクタンクが民主主義防衛財団で、対イラン計画に反対する証言を、17回しているのも驚くべきことではない。民主主義防衛財団のエグゼクティブ・ディレクター、マーク・ ドゥボウィッツは、2010年に実施された対イラン経済、イラン石油輸出制裁企画の手伝いまでしていた。

更に、民主主義防衛財団の他の多くの役職も、テルアビブのネタニヤフ政権の意見を反映している。14年間、AIPACの広報部長をつとめたトビー・ダーショウィッツが、民主主義防衛財団の政府関係と戦略担当副理事長だ。AIPAC、つまりアメリカ・イスラエル公共問題委員会は、ジョン・ミアシマイヤー・シカゴ大学教授によれば、“アメリカ合州国議会を、その権力と影響力で支配しているイスラエル政府の手先”だ。トランプは、2016年3月のアメリカ・イスラエル公共問題委員会年次総会での、メイン講演者だった。

マイケル・フリンとマイケル・レディーン

反ムスリム同胞団の国家安全保障顧問マイケル・フリンに話を戻そう。フリンはCIA長官に任命されたマイケル・ポンペオとともに、ネタニヤフの本心に沿った立場、オバマ・イラン核合意を反故にすべきであり、イランをテロ支援国家と呼ぶべきであることに同意している。

フリンは、マイケル・レディーンと共著も書いている。人は誰とでも共著を書くわけではない。私は知っている。共著者は、考え方が自分と完全に一致する人物でなければならない。マイケル・レディーンは、興味深いことに思えるのだが、民主主義防衛財団で、研究者をつとめている。金融投資家のジム・リカーズも民主主義防衛財団の経済制裁・違法金融センターの諮問委員会メンバーであり、トランプ・ブロジェクで、最高の地位にあると見られると噂される元CIA長官ジェームズ・ウルジーは、FDD指導者会議メンバー四人の一人であることは注目に値する。

今年、2016年、レディーンは、NSC長官に指名されたマイケル・フリンと、Field of Fight: How to Win the War Against Radical Islam and its Allies(戦いの舞台:過激イスラムと、その同盟者との戦争で、いかにして勝利するか)と題する本を共著した。レディーンとトランプのNSC長官とのつながりは、ちょっとしたものなどでないのは明らかだ。

レーガン時代に、G.H.W.ブッシュと彼のCIA同窓ネットワークによる違法なイラン-コントラという武器・コカイン取り引きに連座したこともあるレディーンは、大昔、私が一度見たことがあるが、現在ほぼ捜すことがとても困難な博士論文を書いた。その題名は“普遍的ファシズム”というもので、ムッソリーニのイタリア・ファシズムを、世界的に適用する可能性を扱っていた。いうなれば、ファシストによるワン・ワールド秩序だ。

表面に出ないことを好んでいるマイケル・レディーンは、おそらく、ネオコンのゴッドファザーと表現するのが最適だろう。ポール・ウォルフォウィッツ、ディック・チェイニー、ドナルド・ラムズフェルドらのアメリカ戦争派閥の政策は、彼が形作ったのだ。

ブッシュ-チェイニー-ウォルフォウィッツの対イラク戦争が進行中の2003年、レディーンは“現代テロの生みの親、イランに集中すべき時期”と題する演説を、親ネタニヤフの安全保障問題ユダヤ研究所(JINSA)で行っており、その中で、彼はこう断言していた。“外交の時代は終わった。今やイラン解放、シリア解放とレバノン解放の時だ。”アメリカの対アサド戦争のほぼ十年前の2003年当時、イラン、シリアとレバノンを“解放”するため、アメリカ率いる“全面戦争”によって、イラク、イランとシリアは“自由”を得るべきだと、レディーンは断言していた。

次期大統領ドナルド・トランプの閣僚選任過程に近い筋の情報によれば、誰が選ばれるかに関しては、二人の人物が決定的な影響力を持っている。35歳の政治経験の浅いトランプの娘婿ジャレッド・クシュナーと、マイケル・フリンだ。トランプは、この二人に、極秘の大統領ブリーフィングへの同席まで求めていた。

ウィンストン・チャーチルは、かつてこう言った。“戦時には、真実は非常に貴重なので、真実には常にウソという護衛をつけなければならない。”アメリカを新たな戦争にそなえるためのトランプ大統領プロジェクトは、既にウソという護衛がしっかりついているのは、もはや明らかだ。

F. William Engdahlは戦略リスク・コンサルタント、講師で、プリンストン大学の政治学学位を持っており、石油と地政学に関するベストセラー本の著書で、これはオンライン誌“New Eastern Outlook”への独占寄稿。

記事原文のurl:http://journal-neo.org/2016/11/25/the-dangerous-deception-called-the-trump-presidency/

南スーダンについて研究する

長周新聞 2016年10月26日付より転載します。


南スーダンの歴史と現状
             日本学術振興会特別研究員PD 飛 内 悠 子
                                 2016年10月26日付
 
 紛争が激化する南スーダンをめぐって、国連PKO部隊に派遣されている自衛隊の派遣期間延長が決まり、新安保法制にもとづいて「駆け付け警護」や「宿営地の共同防衛」の新任務を与えることが俎上にのぼっている。しかし、南スーダンがどのような国であり、なぜ現在の混乱状況がもたらされているのか、その下で人人がどのような生活を送っているのか、日本国内ではその実態について基本的な知識も含めてほとんど触れる機会がない。本紙は今回、「自衛隊の駆け付け警護」等等を考えるにあたって、南スーダンの歴史的、社会的な変遷や民族的矛盾、現地のあるがままの姿を捉えることに力を入れ、そのなかで長く南スーダン現地の研究に携わってきた飛内悠子氏(日本学術振興会特別研究員PD)に話を聞いた。



 新安保法制にもとづく「駆け付け警護」の新任務が自衛隊に付与される地域として、にわかに南スーダンに注目が集まっている。南スーダンは長い内戦を経て現在のスーダン共和国から独立したばかりの国である。しかし、人人が故郷を復興させようとしていた矢先の2013年12月に紛争が発生し、数万人の死者と200万人を超える難民を出す事態に発展した。この紛争は、もともとは政権与党であるSPLM(スーダン人民解放運動)内の権力争いであったが、ディンカ人であるサルバ・キール大統領派(SPLA―Juba)とヌエル人であるリエック・マチャル前副大統領派(SPLA―IO)に分かれ、それぞれの民族全体を巻き込んで民族対立の様相を呈している。ここにスーダンやエチオピア、ウガンダなど周辺諸国の思惑やアメリカなどの関与も絡んで、解決の道筋はいまだに見えない。昨年八月に和平協定が結ばれ、ようやく戦闘が終わるかのように見えたが、今年七月に再発し、ほぼ内戦状態になっている。
 私は2007年に今の北スーダンの首都ハルツームではじめて南スーダン人と出会って以降、地域研究、人類学の研究者として現イエイ川州カジョケジ郡を故地とするクク人という民族を中心に長く現地の人人とかかわってきた。現在の対立は、長く続いた植民地支配とそれに続くスーダン共和国時代の歴史的経緯を踏まえて理解する必要があると考えている。こうした背景と現地の状況をよく知り、「今、南スーダンの人人が本当に必要としていることは何か」という議論を抜きに、南スーダン情勢を議論することはできないと思う。

 南スーダンはどんな国か

 南スーダンは赤道近くに位置し、2011年に独立したばかりの「世界で一番新しい国」である。大部分が熱帯気候で、おおむね4~11月が雨期、12~3月が乾期になる。気温はどこも高く、乾期では37、8度、高いときは40度を超えることもある。標高が高い場所や雨期には少し下がるが、とくに首都ジュバは暑くて湿度も高く、暮らしやすい場所ではない。
 南スーダンが分離独立する前のスーダン共和国はアフリカで一番広い面積を持つ国だった。南スーダンの面積は約64万平方㌔㍍、日本の約1・7倍である。全10州(現在28州に分割されている)あるほか、独立したさいに領有権が決まらなかった南北国境近くのアビエイという地域を擁している。ここは住民投票で南北どちらに属するか決めることになっていたが、まだおこなわれていない。
 このアビエイも含む南北スーダン国境地帯で石油が出ることがわかったのが1980年代だ。ただし石油が出る場所の多くは南スーダン側にある。基本的に人人は牧畜と農耕を生業としているが、南スーダン政府は国家予算の八割以上を石油に依存している。といっても内陸国なので石油を輸出するにはパイプラインを通さなければならない。それがスーダンを経由しているため、南スーダン政府はスーダン政府にパイプラインの使用料を払うので利益が丸ごと入るわけではない。さらに現在の内戦状態のなかで石油の輸出が滞っており、政府は予算不足の状態である。
 南スーダンには50以上の民族がおり、人口は現在1000万人を超えていると予測される。そのなかでディンカが最も大きな民族であり、ヌエルが2番目、シルックが3番目に大きい民族だ。これら3つの民族は基本的に南スーダンの北側に居住する。南側のエクアトリア地方(西エクアトリア、中央エクアトリア、東エクアトリアの3州)にはエクアトリア人と呼ばれることもある中小の民族がひしめきあっている。これまで主に政治的権力を握ってきたのはディンカやヌエル人といった大きな民族であった。
 各民族は民族語を持つが公用語は英語である。共用語として口語アラビア語も広く話される。
 南スーダンの民族の多くは牧畜民と農耕民である。主要な作物は主食でもあるモロコシ(ソルガム)、ゴマなどである。農耕民は雨期に農耕をして作物を貯蔵し、乾期を過ごす。牧畜民は乾季に移牧をし、雨期に雑穀を栽培して生活している。だが南スーダンに居住する人の多くは農耕、牧畜、狩猟採集といった様々な生業を組み合わせて生計を立てている。
 水源はほぼナイル川であり、農業は天水農業つまり雨に頼る農業で、灌漑をやっている地域はほとんど聞かない。北スーダンでは灌漑農業も見られるが、それでも発展しているのは首都ハルツームなどナイル川沿いに限られている。青ナイルと白ナイルが合流するハルツームも、もとは小さな農村だったが、植民地期にスーダン攻略の拠点となって開発が進んだ町だ。

 歴史的経緯

 スーダンは長くイギリスとエジプトの共同統治下にあった。イギリスから独立したのが1956年だが、北部スーダンと南部スーダンの内戦が始まったのが1955年といわれている。どこを節目にするかは諸説あるが、独立する前から始まっていたといわれており、イギリスから独立した時点から今に至るまで、10年間の休戦期間を除いてほとんど安定した期間がなく発展する余地がなかった国である。
 南北スーダンの分断の主な要因の一つとなったのはイギリスの植民地政策である。北と南の境目辺りには「スッド」と呼ばれる湿地帯があり、北から南に船で入るのが難しいという条件もあって、もともと両者の交流は盛んではなかった。そうした環境にあった1820年、エジプトのムハンマド・アリー朝が北部スーダン侵略を開始し、イギリスもそれに続いた。北部スーダンにたどり着いた植民地勢力は支配領域を広げるため、南スーダン領域に足を伸ばそうとして、ナイル川を切り開いて行き来できるようにしていった。初めて現南スーダン共和国の首都ジュバ付近に植民地勢力がたどりついたのが1840年である。北部スーダンの人人も植民地勢力に抵抗し、一度はイギリスを追いやったが、最終的に一八九九年、ダルフールを除いた現在の南北スーダンが植民地国家として成立した。
 イギリス・エジプト共同統治下では「南部政策」と呼ばれる分離政策がとられた。北と南で民族が違うのは確かだが、その「違い」を北部、南部がはじめから意識していたわけではない。それをイギリスは明確に分離して統治したのである。具体的には北から南に商人が交易で入るのを禁止したうえで、北側にはイスラームの信仰を認め、イギリスの統治を手伝う人材を育成するために高等教育機関を置いた。それが現在のハルツーム大学である。
 それに対して南にはイスラームが入ることを禁じた。商人の交易を禁じるのはイスラームが入るのを阻止する意味を持っている。そしてアラビア語による教育ではなく、キリスト教宣教師団を入れ、キリスト教の布教と教育をおこなった。ただし南における教育は、ハルツーム大学のような高等教育機関は置かず、基礎的なものだけだった。イスラームを認められた北側で名家の子息などが高等教育を受けるようになると、それを与えられていない南への視線は当然にも見下したものになり、「俺たちは南のアフリカンとは違う」という意識が生まれた。北側で高等教育を受けて政治家になったり、経済政策を担える人材が育っていくのに対して、南側はそのままに置かれたのである。
 これほどの分離政策をとっていたにもかかわらず、イギリスは植民地を手放すさいに南北を一緒に独立させ、イギリス・エジプトが引き揚げるにあたり、行政の担い手をスーダン人に置き換える=「スーダン化」をおこなった。このとき南部スーダンには人材が育っていないため、北部スーダン人が南部のそれをも担った。それまでの分離政策に加えて、北部スーダン人による南部における奴隷狩りがおこなわれたという歴史もあり、これが南側の人人の反発を買うのは当然であった。
 1955年、トリットの乱が起こり、それが第1次スーダン内戦の一つの開始地点になった。当時のイギリスからの独立後スーダン政府は南部スーダンに対してアラブ・イスラーム化政策をおこなった。これは南側の反発を生み、両者の関係は悪化していく。1960年代以降戦闘が激化し、1965年にはジュバで北部軍による南部人の虐殺が起こっている。1972年にアディスアベバ協定によってようやく第1次内戦が終了し、10年間の休戦期間が訪れた。南北スーダンの歴史のなかでこれが唯一内戦のない期間となった。

 第2次内戦とSPLA

 しかし、協定によって定められた、南部の自治権を認め、南部でも経済発展や開発をおこなうとした約束は北の都合で実行されず、南部では不満が高まった。さらに北の当時の大統領ガファル・ヌメイリは、南部の自治権をとり上げ、アッパーナイル、バハル・アル・ガザル、エクアトリアという三つの地域に分割した。これらの地域はそれぞれ、ヌエル、ディンカ、そしてエクアトリア人という「民族」と結びつく。南部に「独立したい」という思いが根強くあるのを危惧し、三つに分割して互いに競い合わせ、独立を阻止しようとしたものだ。こうした政策は直接的ではないにせよ今のヌエル・ディンカの対立につながっている。もちろん植民地期にも民族間対立が煽られていた。このように対立がつくられてきた歴史がある。
 縮まらない経済格差、そして9月法と呼ばれる刑法の施行などさまざまな不満があわさり、1983年に南部スーダンで蜂起が起き、内戦が再開した。ジョン・ガランが率いたSPLA(スーダン人民解放軍)は、初期には南部内の敵対勢力を追い落としたりしていたものの、次第に南部スーダン全体から一応の支持をとりつけた。ジョン・ガランが求めたのはニュー・スーダン、つまり南と北が一緒に新しいスーダンをつくるべきだというものだ。彼は「北スーダンでも周辺の民族は低開発のままに置かれている。南だけではない。南と北は協力して、人種や宗教、民族で分けられない新たなスーダンをつくるべきだ」と一貫していい続けていた。彼は南だけでなく北の人人からも人気があり、もし死なずに大統領選に出ていたら、統一スーダン大統領となって南北分離はなかったかもしれないともいわれる。
 彼はディンカ人で人気も求心力もあったが、独裁的な面もあり、反発する人もいた。さらに南スーダンのなかにはニュー・スーダンを受け入れがたい人はいた。そうした反発と、かつ「俺が率いたい」という思いもあったのか、1991年にリエック・マチャル(前副大統領)とタバン・デン・ガイ(現副大統領)が中心になってジョン・ガランに反旗を翻し、ナシル・クーデターを起こした。それは南北の内戦よりひどかったといわれ、内戦を激化させた。ガランを支援していたエチオピアの社会主義政権の崩壊に加え、この内部での反乱はガランやSPLAの力をそぎ、北側の力が増した。しかもナシル・クーデターを起こしたナシル・ファクションは、「敵の敵は味方」と、あろうことか北スーダンと手を組んでいた。だれが敵でだれが味方かわからない状態となり、内戦は90年代を通して泥沼化した。
 1994、95年頃からガラン側の力が復活し、政府軍にとられたところを奪い返すようになってきた。国際社会の関与と国民の疲弊もあって、2000年代から和平調停が盛んにおこなわれるようになり、02年に結ばれたマチャコス議定書が内戦終結の一つの分岐点になった。その少し前からナシル・ファクションのメンバーが次次SPLAに戻り始め、02年にリエックが戻ったことで「SPLAがまとまった」こともあって交渉が進み、05年1月にスーダン政府とSPLAとの間で包括的和平協定が結ばれた。ここでは、南部政府をつくり、6年間の暫定期間をおいたうえで独立を問う住民投票をおこなうことが決まった。そして6年後の2011年1月におこなわれた住民投票では南部住民の98%以上が独立に投票し、同年7月9日、南スーダンは独立を果たしたのである。
 ジョン・ガランは和平協定が結ばれた05年の7月にウガンダから戻る途中に飛行機が墜落して死んだため、部下だったサルバ・キールが後を継ぎ、大統領となった。殺された可能性もあるといわれるが真相はわからない。
 この南スーダンの独立にはアメリカの意向も大きくかかわっているといわれる。石油利権の問題に加え、イスラーム圏である北部スーダンはビン・ラディンを匿ったといわれた国でもあり、南部スーダン以南のアフリカはキリスト教が多いので、アメリカは南スーダンをイスラーム化を防ぐ防波堤、分水嶺と見て分離独立させたのである。しかしながら、多くの犠牲者を出した内戦の一応の帰結ということで、南スーダンの人人はこれからの復興に希望を持っていた。
 
 独立後の紛争

 だが、独立後も決して平穏ではなかった。各地で紛争が頻発していた上に、次第に清廉潔白で真面目であったと言われていたサルバ・キールの独裁化が問題になり始めた。また、政府要職にある人人の横領も問題となっていた。実は、SPLAがスーダン内戦期支援物資の横領をしていたのは公然の秘密であった。そしてサルバ・キールが独裁体制を敷き始めたことにリエックやその周辺が反発していた面が大きかった。それに対してサルバ・キールは2013年7月、閣僚を全員更迭した。同年12月に起こった戦闘では、「リエックとその周辺の一派がクーデターを画策した」といい、クーデターを起こしたとされる人人を逮捕し、ジュバ市内でリエックの属するヌエル人の虐殺をおこなった。このクーデター自体、リエックは否定しており、専門家のあいだでは「サルバ・キールが民族対立を煽ってリエックを追い出したのだ」と見られていた。真相は闇の中だが、戦火は急激に拡大し、多くの犠牲者を出しながら泥沼化している。
 政治対立だったはずが民族対立の色も濃くなり始めており、サルバ・キール側もそれを煽っている気配がある。国に金がなく、公務員や軍すら給料を遅配している状況にある。周辺諸国の相当な圧力によって2015年8月に和平協定(南スーダンにおける紛争の解決に関する協定ARCISS)がなされたのちも、地域―民族間対立をあおるようなやり方で10州を28州に分ける、ARCISSで決められていたはずのジュバの非武装化(政府軍のジュバからの撤退)をしないなどサルバ・キールの政策は評価されていない。リエックが一方的に支持を集めているわけでもない。
 7月のリエックのジュバからの撤退を受け、同じIO側にいたタバン・デン・ガイが副大統領に就任し、アメリカをはじめとした国際社会もそれを承認する傾向にある。だがこれは半ばタバン・デンによるリエックへの「裏切り」である。サルバ・キールがタバン・デンを政府側に引き込んだのである。こうした「引き込み」はサルバ・キール側、そしてリエック側が互いにおこなっている。
 簡単にいえばサルバ・キールとリエックが狐と狸の化かしあいをしており、互いに相手の味方から造反しそうな人を見つけ、自分の側にひき抜き、勢力範囲を広げつつ変えていく、さらに国際社会を使って自分の有利なように動かそうと画策しているという状況である。
 南スーダン人の中にはこの状況を冷ややかな目で見る人も多い。とくにディンカ・ヌエル以外の南部の人達の中には、この紛争は自分達が「巻き込まれたもの」であると感じている人が多い。このような状況で強引に和平協定が結ばれたとしてもその履行が確実になされるかには疑問が残る。 ジュバ市内はウガンダから幹線道路を通じて物資は入ってくるので、お金さえあれば生きていける。しかし輸入品なのでレートがかかって高い。紛争前に約2南スーダンポンドが1000ウガンダシリングだったのが、現在は1000南スーダンポンドが4000ウガンダシリングとなっていて現地の人も「もう紙だよ」といっていた。500㍉㍑のコカコーラが3南スーダンポンドで買えていたのが今は35南スーダンポンドという話も聞いた。「インフレ率600%、世界1」ともいわれている。
 ジュバはお金がなければ生きていけない地域だ。市内の土地は高騰していたので、もともとの住民以外はあまり土地を持っておらず、耕すこともできない。水も配水車から買うのだが、それも値上がりしている。七月に紛争が起きた後、政府軍がマチャルをジュバから追い出したので、一応治安は落ち着いているとされるが、それでも2013年以前と比べればそれは恐ろしく悪化した。強盗事件の数は増加し、生活の苦しさや治安への不安からウガンダなどに逃げる人も多い。そうした強盗事件が政府軍によるものだといわれることもある。給料が払われず、武器を支給されたら食料の「自己調達」につながりうるのは容易に予測しうることである。また紛争で家を追われ国連施設や教会に逃げた人は生活を大きく変えざるをえない。とくにヌエルの人たちは国連の中にいなければ政府軍の標的になる可能性があり、避難生活を続けていることが予測される。
 これまでは戦闘が主におこなわれたのは南スーダン北部であり、ジュバも含め南部のエクアトリアは比較的落ち着いていた。しかし昨年8月の和平協定を受けて今年4月にリエックが副大統領に復帰したさい、軍を引き連れてジュバに戻ってきたことから状況は変わった。両者がエクアトリア地方に軍を展開したため、各地の兵士の間で小競り合いが起こり始めた。カジョケジでは今年5月半ば過ぎから始まり、6月頃には頻発していた。行政機関はほぼ機能していないといわれ、ほぼ政府軍の支配下にある状態である。その政府軍も統制がとれていないという。7月の戦闘以降はほとんど内戦状態になっている。この戦闘では300人(実際はそれ以上)が亡くなったといわれ、政府軍がヌエルの一般市民も標的にしていたという話もある。
 2週間ほど前にはウガンダからの重要な補給路の一つになっているイェイ(ウガンダ・コンゴとの国境地帯の町)のカヤという地域を反政府軍が封鎖したという話だ。おそらくここからの物資は止まっており、人人がウガンダに抜けることもできない状態と聞いている。イェイは激戦だったという話で、農耕もできていないと考えられるため、生活物資や食糧の不足が危惧される。
 もう一つの、ウガンダと南スーダンを結ぶ一番大きな道路があるニムレという町は政府軍が押さえており、そこからジュバに物資は入っているようである。ただ、この町を反政府軍も狙うし国外へ出ようとする人たちが政府軍の標的にされるという話も聞いている。住民はみなウガンダに逃げ、ニムレは車が通るだけの町になっているという。難民はエチオピアやウガンダ、北スーダンに相当数が流れており、ウガンダで最大数の難民受け入れをおこなっているアジュマニ県では、国民人口の23万人を超える難民を抱えて、別の場所に新しい受け入れ先をつくっている。北側も昨年8月以降「戦闘は収まった」といわれていたが、今年7月以降は各地で戦闘がおこなわれており、相当数の難民が出ているようだ。
 しかしあまりにも急で、あまりにも難民の数が多すぎるため支援が追いついていない。新しい難民居住地に親族を訪ねて行った人に聞くと、ビニールシートなどの資材も足りないし、食べ物も十分な量は支給されていないという。南スーダンから逃れるのがいいのか、とどまって踏ん張るのがいいのか判断しかねる状況にある。北スーダンにも一定数の難民が逃れているが北スーダンの難民の扱いは恣意的で、難民と認めたり、「たんなる移民だ」といったりして扱いはいいとはいいかねる。紛争を巡っても北スーダンは「中立」を装っているが、確実にリエックを支援していると見られている。
 こうした混乱状態のなか、2012年から自衛隊が南スーダンPKOに派遣されているが、現地の人たちはあまり自衛隊の存在を知らずむしろJICAの方が有名である。自衛隊も当初はインフラ整備を主な任務としており実際に道路建設をしてきていた。その活動を全否定するものではない。地方経済を活性化させるためにもジュバ市内の物価を下げるためにも、道路をつくり、南スーダン内部で物資を回すのは重要だからだ。本当は一番インフラ整備が必要とされていたのは北側のジョングレイ州やアッパーナイル州、ユニティ州などだが、危険なため自衛隊はジュバに限定して活動を始めた。
 雲行きが変わったのが、特定秘密保護法や防衛装備移転3原則が決まるなど、安保法制に向けた議論が始まった2013年頃である。ちょうどこの頃に唯一自衛隊がPKOとして派遣されていたのが南スーダンであり、安保法制を変えるために、またその導入として「駆け付け警護」が無事にできることを証明するために、南スーダンがとり上げられていると感じている。
 安倍首相が「衝突であり紛争ではない」などといっているが、現地の様子を見て、どこが紛争でないのかと思う。今の混迷した状態で普通の軍の常識は通じない。さらにジュバで「駆け付け警護」をするというとき、「誰に銃を向けるのか」という問題が起こる。誰が味方で誰が敵かわからない状態は続いている。襲撃してきたのが反政府側なのか政府側なのか、第三者なのかわからないのに、自衛隊が自分で判断できるのか疑問だ。もしかしたら一般の人に銃を向けてしまうかもしれない。
 国連PKOの4000人増派が決まったとき、政府側ははっきり「主権侵害だ」「植民地主義の再来だ」といって反発している。SPLA/Mは政党であり軍隊であるのに、国連軍が入ってきてジュバが非武装化すれば、政府軍もジュバから出なければならないから、政府軍のなかで国連に対する相当な反発が出ているのは明らかだ。稲田大臣が訪問したときの南スーダン側のコメントも、「インフラ整備などで日本の協力は必要だ」といっているが、「駆け付け警護が必要だ」とはいっていない。自衛隊の活動としてインフラ整備は否定しないが、それは自衛隊でなくてもできるのではないかと思う。ましてやこれほどの混乱した情勢のなかに、あえて「駆け付け警護」を導入する意味があるのか、疑問を感じざるをえない。
 南スーダンの人たちは比較的親日的である。ウガンダや南スーダンでは中国の進出が目立ち、道路整備や住宅建築も中国がしている場合が多い。南スーダンの人人はその仕事の早さに一定の評価を与えつつも、車やバイク、パソコンなどの物資を考えたときに「やっぱり日本の物がいい」といわれたりする。これは日本人である私へのリップサービスかもしれないが。また日本はアフリカで植民地支配をしていない。きれいで、いい物をつくり、過去にわだかまりのない国として心象はいい。これが「駆け付け警護」などで、どちらかの民族なり勢力から「敵だ」とみなされたとき、日本にとっても南スーダンの人にとっても、なんの利益にもならないと思う。
 ひとりの日本人として、南スーダンに深くかかわってきた者として、国際社会における日本の役割と共に、日本と南スーダンがいかなる関係を築きうるのか、そのために何ができるのか、それを今もう一度南スーダンの状況との「対話」から見直す必要があるのではないかと考えている。
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