ケアがないまま自衛官を戦死させるのか

戦争をする覚悟のないままに、戦争に突き進むことは当事者の自衛官の命を軽視することである。
2015.05.21. リテラ より転載。

大物元防衛事務次官が安倍首相を批判! ケアがないまま自衛官を戦死させるのか、と…
http://lite-ra.com/2015/05/post-1119.html
2015.05.21. リテラ


「自衛隊発足以来、今までにも1800名の自衛隊員の方々が、様々な任務等で殉職をされておられます」
「自衛隊員は自ら志願し、危険を顧みず、職務を完遂することを宣誓したプロフェッショナルとして誇りを持って仕事に当たっています」

 一連の安全保障法制を閣議決定した後の記者会見で安倍晋三首相が言い放ったこの台詞は、まさに本音が出たとしか思えない。

 自衛隊員なんて死んで当たり前であり、彼らがどうなろうが、何の痛痒も感じる必要はない──。ようするに、安倍はそう言ったのである。

 実は今から1年前、元大物防衛官僚が安倍首相のこの自衛官の生命軽視の本質を見抜き、強い警告を発していた。

 発言の主は“防衛庁の天皇”と呼ばれていた実力者で、普天間基地の辺野古移設の立案者でもある元防衛事務次官の守屋武昌。8年前に収賄容疑で逮捕・起訴され失脚した後、文筆・評論活動を行っているが、その守屋が月刊情報誌「選択」(選択出版)2014年8月号の巻頭インタビューで、自衛官の死を想定していない安倍政権の姿勢をこう批判している。

〈国会で安倍首相は野党からの戦死についての質問をはぐらかし続けた。そもそもこれまで毎年平均三十人以上の自衛官が命を落としているにもかかわらず、それを慰霊するときも、暗い講堂に幕を張ってひっそりと行ってきた長い時期がある。諸外国では任務で命を失った兵士に国家国民が最大限の敬意を払うが、日本ではそれすらままならなかった。安倍首相が本当に「普通の国」を目指すのであれば、こうした問題が山積しているのだということを、声を大にして訴えたい。〉(同誌より)

 守屋によれば、これまでに殉職した1800余人の自衛官のほとんどは一般公務員にはない「職務上の危険」によるものだったという。にもかかわらず国の扱いは通勤途中に交通事故で死んだ一般公務員と同じままだ。自衛官の死亡保障の話を持ち出そうとすると、「他の公務員と(保障内容が)変わらないことを承知で入隊したのだろう」と言われる。少しでも高い年金や補償を受け取ろうとすると、長い裁判を戦わなければならない。殉職者の遺族が辛酸を舐めている様子を多くの自衛官が傍目で見てきたというのだ。

〈(これは)まともな国ではないと思う。安倍内閣の憲法解釈変更により集団的自衛権の行使が容認され、今後は自衛官の職業としての危険性はこれまで以上に高くなる。これをケアする制度を国として用意すべきだ〉〈国のために戦場に送る側が、送られる側の身になって制度を作るべきだ〉と守屋は言う。

 だが、安倍政権は戦死者をケアする制度を作る気などさらさらない。なぜなら、そんなことをしたら安保法制によって自衛官の「戦死」が現実になることが国民にバレてしまう。「平和安全法制」が、まんま「戦争法制」なのがバレるからだ。

 結局、自衛官は「死」に対する何の保障もないまま戦場に送り出されることになる。

 安倍の会見での発言にもあるとおり、自衛官は「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もって国民の負託にこたえる」ことを宣誓させられている。だから死んでも文句は言うな、というのだろうか。あるいは、日本がアメリカの戦争に巻き込まれることは「絶対にあり得ない」と断言するほど、現実を直視していない安倍だけに、自衛官の戦死も「あり得ない」とでも思っているのか。

 戦場に送られる側の自衛官は、すでに「死」を現実のものとして受け入れざるを得ない状況に追い込まれている。防衛大卒で海上自衛隊を経て毎日新聞社に入った滝野隆浩記者は5月15日付の同紙にこう書いている。

〈(自衛隊は)海外派遣に合わせるように隊員が戦死した場合の準備を進めてきた。派遣先にはひつぎを運び込み、医官に遺体修復技法(エンバーミング)を研修させ、東京・九段の日本武道館で「国葬」級の葬儀のため日程を把握する。それは組織としての「死の受容」だった〉

 守屋の言うとおり、今後、自衛官の危険は格段に増えるだろう。安倍政権は、外国部隊への補給などの後方支援は戦闘を行っている現場ではないから大丈夫だと言い張るが、そんな理屈が通じるのは日本だけだ。そもそも紛争相手にとっては部隊の「前方」も「後方」も“敵”であることに変わりはない。とくにゲリラやテロ組織は正面から戦っては不利だから、補給を妨害しようとする。「後方」こそが攻撃対象なのである。

 また、PKO協力法改正では武器使用が拡大され、他国の部隊が攻撃を受けた場合に自衛隊が「駆けつけ警護」できるようになる。具体的な場面を想像すればわかるが、攻撃を受けて防戦している部隊を助けに行くのだから、当然、自衛隊も戦闘の現場に飛び込むことになる。「戦闘が終わってから助けに行く」などというバカな話はないからだ。安倍は、「自衛隊が戦闘に参加することはありません」などと言っていたが真っ赤なウソだ。戦闘に参加する以上、死者が出ることは避けられない。

 それだけではない。武器使用が大幅に拡大するということは、自衛官が人を殺す可能性も拡大するということだ。サマワに派遣された陸上自衛隊は幸い1発の銃弾も撃たずに任務を終えた。いや、自衛隊自身が創設以来、“敵”に対して1発の銃弾も撃っていない。だが、今後はそうはいかなくなる。ゲリラやテロリストだけでなく、誤って現地の市民を殺してしまう可能性も否定できない。安倍政権は、その場合の法的なケアも考えていない。

 自衛官が派遣先で誤って市民を射殺したらどうなるか。あるいは、事実上の交戦によって生じた破壊・殺傷の責任はどうなるのか。誰がいかなる根拠で起訴、不起訴の処分を行うのか。安倍政権では、戦闘には参加しないタテマエになっているので、議論もされない。結局、自衛官はすべてのリスクを負わされ、戦場に送られることになる。しかもその戦場は、日本人の命や日本の国土を守るための戦場ではなく、もっぱら宗派対立による紛争に、アメリカに言われ、アメリカのお付き合いとして参加させられる戦場だ。

 しかし、冒頭で言ったように、安倍首相にとって、そんな自衛官の事情なんてどうでもいいのだろう。

 安倍首相の頭の中にあるのはむしろ、自衛官の血を流させることだ。「日米同盟を“血の同盟”だ」「アメリカ人が血を流している以上、日本人も血を流さなければ対等な関係になれない」。04年に出版された元外務官僚の岡崎久彦との対談本『この国を守る決意』(扶桑社)で、安倍はそうはっきりと発言している。岡崎は安保法制懇のメンバーでもあり、一連の安保法制の本質はここにあると考えていいだろう。

 また、この対談本で、安倍はこんなことも口にしている。

「祖父の岸信介は、六〇年に安保を改定してアメリカの日本防衛義務というものを入れることによって日米安保を双務的なものにした。自分の時代には新たな責任があって、それは日米同盟を堂々たる双務性にしていくことだ」

 岸は日米両国が同じ権利、同じ義務を有する条約を結びたかったが、集団的自衛権が行使できないので断念せざるを得なかったという。そんな「お祖父ちゃんの悲願達成」という極めて個人的な思い入れのために、安倍は自衛官に人を殺し、殺されることを強要しようとしているのだ。正気の沙汰とは思えない。

(野尻民夫)
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