「テロリスト」は米国支配層の手先だと認識する必要

桜井ジャーナル2015/12/12号の転載


アル・カイダ系武装集団、IS、ネオ・ナチなど「テロリスト」は米国支配層の手先だと認識する必要

 中東/北アフリカやウクライナをはじめとする地域で戦乱が拡がり、破壊と殺戮が繰り広げられている。そうした事態を終わらせるためにしなければならないことは何なのだろうか?

 戦乱が拡がりはじめた当初、西側では「独裁者による弾圧」というイメージが広められた。その独裁者に向かって立ち上がった人たちの戦いということだが、時間を経るに従って実態は違うことが明確になる。中東/北アフリカではアル・カイダ系武装勢力やそこから派生したIS(ISIS、ISIL、ダーイッシュなどとも表記)、ウクライナではネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)が反政府軍の正体だった。

 西側では「テロとの戦い」という表現が使われるが、テロリズムは戦術であり、テロリストはそうした戦術を使う人たち。「テロ」では抽象的すぎるので「アル・カイダ」なる名称が使われたが、これは故ロビン・クック元英外相が指摘したように、CIAが訓練した「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイルにすぎない。アル・カイダとはアラビア語でベースを意味、「データベース」の訳語としても使われる。「アル・カイダ」も戦闘集団としての実態はなかった。

 現在、特に問題なのはアル・カイダに登録された戦闘員で編成された集団、そこから派生したIS。アメリカ軍による破壊と殺戮で中東/北アフリカの経済は破綻、稼ぎのために傭兵として戦っている人もいるようだが、それでも戦闘員の主力はサラフ主義者/ワッハーブ派で、ウクライナのネオ・ナチとも結びついている。こうした戦闘集団は西側支配層の影響下にあることを忘れてはならない。

 集団的自衛権では「後方支援」が問題になった。つまり兵站だが、その重要性を理解しているなら、「テロリスト」を衰退させするためには、西側支配層に支援を止めさせなければならない。空爆を行う場合、司令部や武器/兵器庫だけでなく、兵站を潰さなければならないのだが、アメリカを中心とする連合軍は司令部も武器/兵器庫も兵站ラインも放置してきた。攻撃するのは国民の生活に結びついたインフラや、生活している人びとだ。

 サラフ主義者/ワッハーブ派を中心とする武装勢力をアメリカ政府が編成、支援をはじめたのは1970年代の後半、ジミー・カーター政権においてだ。その中心にいた人物がズビグネフ・ブレジンスキー。この時にスンニ派の武装勢力が組織されたのだが、戦闘員の大半はサラフ主義者/ワッハーブ派だった。

 「テロリスト」による殺戮と破壊の元凶はアメリカ、イギリス、フランス、トルコ、イスラエル、サウジアラビア、カタールだということがわかっている。こうした国々の支配層を止めなければ事態は改善されない。

 石川啄木は「われは知る、テロリストのかなしき心を・・・」という書き出しで始まる詩を1911年に書いている。1909年の伊藤博文暗殺、あるいは11年の「大逆事件」を題材にしているようだが、大逆事件は明確に冤罪だった。政府にとって目障りな勢力を弾圧するためのでっち上げ事件だということだ。

 第2次世界大戦で日本が敗北、天皇制官僚国家の仕組みが揺らいだ日本では労働運動が盛り上がった。そうした動きを叩きつぶしたのが国鉄を舞台とした3怪事件、つまり1949年7月5日に引き起こされた下山定則国鉄総裁の誘拐殺人事件、同年7月15日に三鷹駅で引き込み線から無人の列車が暴走、6名が死亡した事件、同年8月17日に東北本線を走行中の列車が金谷川と松川との間で脱線転覆、機関士ほか2名が死亡した事件だ。政府はこれらの事件を共産党によるテロだと宣伝、左翼勢力は大きな打撃を受けたが、いずれもでっち上げだった。

 この事件の実行者として名前が挙がっているのはジャック・キャノン中佐を中心とするZユニット(通称、キャノン機関)やCIA。キャノンとの関係でGHQ/SCAP(連合国軍最高司令官総司令部)の情報部門、G2の部長で「小ヒトラー」とも呼ばれていたチャールズ・ウィロビー少将も噂の対象になっている。それに対し、当時のCIAは破壊活動部門が存在せず、日本での活動は誓約されていたことから否定的な意見を持つ人が少なくない。

 こうした議論が日本では続いてきたが、欠落している重要な機関が存在する。破壊活動を行うため、CIAの外部に設置されたOPCだ。局長はフランク・ウィズナーだったが、事実上の最高責任者はアレン・ダレス。ちなみに、ウィズナーもダレスもウォール街の弁護士である。

 OPCはNATOの内部に設置された秘密部隊と密接な関係があるが、東アジアでも活動していた。当初の拠点は上海に置かれていたのだが、支援していた国民党軍が劣勢になって1949年1月に解放軍が北京へ無血入城、10月には中華人民共和国が成立した。こうした流れの中、OPCは上海から撤退して日本へ移動、6カ所の拠点を設置したが、その中心は厚木基地だったと言われている。

 当然、OPCは中国での反撃を目論んでいたのだが、そのためにも日本の左翼陣営を潰す必要が生じた。そうした中、彼らにとって好都合なことに、国鉄を舞台とした3怪事件が引き起こされたわけである。1950年6月には朝鮮戦争が勃発、OPCは国民党軍を引き連れて中国侵攻を試み、失敗している。なお、OPCは1950年10月にCIAの内部へ潜り込んで52年8月に作られた計画局の中核となり、秘密工作の実態が明らかになった後の73年3月に作戦局へ名称を変更、2005年10月からはNCS(国家秘密局)として活動を続けている

 OPCがヨーロッパで組織した「NATOの秘密部隊」の中でもイタリアのグラディオは特に有名。1990年8月に同国のジュリオ・アンドレオッティ内閣がその存在を公的に確認、その年の10月には報告書を出している。その後、NATO加盟国では秘密部隊の存在が明らかにされていった。

 グラディオは1960年代から80年代にかけ、極左グループを装って爆弾攻撃を繰り返したが、その間、イタリア北東部の森の中にあった武器庫のひとつが1972年、子供によって発見されてしまった。(Philip Willan, "Puppetmasters", Constable, 1991)

 発見から3カ月後、不審車両をカラビニエーレ(国防省に所属する特殊警察)を調べていたところ、その車両が爆発して3名が死亡、ひとりが重傷を負った。事件を起こしたのは「赤い旅団」だとして警察は約200名のコミュニストを逮捕するが、捜査は止まり、放置された。

 この事実をひとりの判事が気づいたのは1984年のこと。捜査の再開を命令、警察が爆発物について嘘の報告をしていたことが発覚、さらに、この警察官が右翼組織「新秩序」のメンバーだということも明らかになった。再調査の結果、使用された爆発物は「赤い旅団」が使っているものではなく、NATO軍が保有しているプラスチック爆弾C4だということも判明、100カ所以上の武器庫が存在している事実もつかんだ。追い詰められたアンドレオッティ首相は1990年7月に対外情報機関SISMIの公文書保管庫を捜査することを許可、そこでグラディオの存在が確認され、報告書を出さざるを得なくなったわけだ。

 アメリカの支配層は自分たちの思い描く世界を実現するため、「テロリスト」を利用してきた。グラディオやネオ・ナチと同じように、アル・カイダ系武装集団やISはそうした種類の「テロリスト」であり、必然的にアメリカ支配層との戦いになる。それを避けようとすれば、「テロリスト」に勝つことはできない。「テロとの戦いは失敗する運命」という主張は、アメリカ支配層との戦いを避ける方便のように聞こえる。

 東京大学の鈴木宣弘教授は「TPPに反対してきた人や組織の中にも、目先の自身の保身や組織防衛に傾き、条件闘争に陥る人もいるだろう。」と指摘しているようだが、これはTPPに限った話ではない。反戦や平和を掲げている人や組織も、目先の自身の保身や組織防衛を優先して西側支配層を過度に刺激したくないと考えているようだ。
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