米国支配層の目論む先制核攻撃

桜井ジャーナル 2017.8.7より転載


広島へ原爆を投下して以降、米国支配層は一貫して先制核攻撃を目論み、沖縄の軍事基地化も進めた

広島が原子爆弾で破壊されたのは72年前の8月6日のことだった。64キログラムのウラニウム235を使った原子爆弾「リトル・ボーイ」をアメリカ軍の爆撃機が投下、兵士2万人以上のほか、市民7万人から14万6000人が殺された。合計すると9万人から16万6000人に達する。勿論、その後も環境中に放出された放射性物質によって人間を含む生物が殺され続けてきた。8月9日には長崎にも原爆が投下されている。

広島と長崎のほか、日本の大都市は焼夷弾で焼かれた。破壊された都市のひとつが東京。1945年3月9日から10日にかけて約300機と言われるB29爆撃機が深川、城東、浅草などを中心に空爆した。その際、そうした地域の周囲に焼夷弾を落として火の壁をつくって逃げ道を奪い、それから攻撃している。10万人、あるいはそれ以上とも言われる住民が殺された。こうした住民逆去るを目的にした空爆を指揮した人物がアメリカ空軍のカーチス・ルメイ少将(当時)。アメリカが負けたなら、確実に戦争犯罪人として裁かれたと言われている人物だ。

この軍人米国支配層は第2次世界大戦の後も続く。1948年にSAC(戦略空軍総司令部)の司令官に就任したルメイは1950年に勃発した朝鮮戦争でも同じような空爆を朝鮮半島の北部で実施、3年間に人口の20%を殺したと本人も認めている。アメリカ軍が日本へ投下した爆弾は約16万トン、朝鮮戦争では63万5000トンだと言われている。

ルメイがSACの司令官になった1948年、「ロバート・マックルア将軍は、統合参謀本部に働きかけ、ソ連への核攻撃に続く全面的なゲリラ戦計画を承認させ」(クリストファー・シンプソン著、松尾弌訳『冷戦に憑かれた亡者たち』時事通信社、1994年)、翌年に出されたJCS(統合参謀本部)の研究報告では、ソ連の70都市へ133発の原爆を落とすという内容が盛り込まれていた。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012)

1954年になると、ルメイが指揮するSACはソ連に600から750発の核爆弾を投下、118都市に住む住民の80%、つまり約6000万人を殺すという計画を作成した。この年の終わりにはヨーロッパへ核兵器を配備している。

1956年にSACは核攻撃計画に関する報告書(SAC Atomic Weapons Requirements Study for 1959)とその分析を作成した。それによると、ソ連、中国、東ヨーロッパの最重要目標には水爆が使われ、ソ連圏の大都市、つまり人口密集地帯に原爆を投下することになっていた。1957年初頭に作成されたドロップショット作戦も先制攻撃が想定され、300発の核爆弾をソ連の100都市で投下、工業生産能力の85%を破壊することを予定している。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012)

こうした先制核攻撃計画がアメリカで練られているころ、沖縄では「銃剣とブルドーザー」で土地が強制接収され、軍事基地化が推し進められていた。1953年4月に公布/施行された布令109号「土地収用令」に基づく暴力的な土地接収で、武装米兵が動員されている。1955年の段階で沖縄本島の面積の約13%が軍用地になった。

1955年から57年にかけて琉球民政長官を務めた人物がライマン・レムニッツァー。この軍人は決して有能ではないのだが、第2次世界大戦の終盤、シチリア島上陸作戦を指揮したイギリスのハロルド・アレグザンダーに取り入ることに成功してから要職に就くようになった。

アレグザンダーはイギリス女王エリザベス2世に近い人物で、上陸作戦の際、下にいたのはイギリス軍のバーナード・モントゴメリーとアメリカ軍のジョージ・パットン。モントゴメリーはウィンストン・チャーチルに近い。

アレグザンダーはモントゴメリーに花を持たせようとしたことから連絡将校だったアメリカの軍人が怒って対立、替わってそのポストに就いたのがレムニッツァー。この人物は貴族が大好きで、伯爵だというアレグザンダーの操り人形になる。レムニッツァーとアレン・ダレスを引き合わせたのは、このアレグザンダーだという。そして、レムニッツァーとダレスはフランクリン・ルーズベルト大統領に無断でナチスの幹部と秘密交渉を始めた。サンライズ作戦だ。(アレン・ダレスなどウォール街の住人は1933年から34年にかけてルーズベルトを排除してファシズム体制を樹立するクーデターを計画していた。)

1945年5月にドイツが降伏した直後、チャーチル英首相はJPS(合同作戦本部)に対してソ連へ軍事侵攻するための作戦を立案するように命令、そして作成されたのがアンシンカブル作戦。7月1日に米英軍数十師団とドイツの10師団が「第3次世界大戦」を始める想定になっていたが、これは参謀本部の反対で実現していない。その直後にチャーチルは下野する。

首相でなくなってもチャーチルは大きな影響力を維持、1946年3月にはアメリカのミズーリ州フルトンで演説し、その中で「鉄のカーテン」が降りていると発言、冷戦の幕開けを宣言している。そして1947年、彼はアメリカのスタイルス・ブリッジス上院議員と会った際、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得して欲しいと頼んだと伝えられている。

そのトルーマンはルーズベルト大統領の急死を受け、副大統領から昇格したのだが、このふたりは親しくなかった。トルーマンのスポンサーだったアブラハム・フェインバーグはシオニスト団体へ法律に違反して武器を提供し、後にイスラエルの核兵器開発を資金面から支えた富豪のひとりだ。

アレン・ダレスやライマン・レムニッツァーと同じようにソ連を先制核攻撃しようと目論んでいたひとりがカーティス・ルメイ。この好戦派グループとケネディ大統領は対立、キューバ侵攻作戦ではアメリカ軍が軍事侵攻することを認めず、ミサイル危機を話し合いで解決する。つまり、ソ連を攻撃するチャンスを潰してしまった。

アメリカ軍がキューバ軍を装って「テロ」を繰り返し、キューバに軍事侵攻するというストーリーのノースウッズ作戦も拒否した大統領はダレスをはじめとするCIA幹部を解任、レムニッツァーの議長再任を認めない。レムニッツァーはNATOを指揮するようになるが、NATOには秘密部隊が存在、イタリアやフランスで要人暗殺や擬装テロを繰り返すことになる。

テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授によると、レムニッツァーやルメイを含む好戦派は1963年の終わりにソ連を奇襲攻撃する予定だったという。その頃になればアメリカはICBMを配備でき、しかもソ連は配備が間に合わないと見ていたのだ。そのために偽旗作戦のノースウッズも作成されたのだが、1963年6月にケネディ大統領はアメリカン大学の学位授与式(卒業式)でソ連との平和共存を訴える。そして11月22日にテキサス州ダラスで暗殺された。その翌年、日本政府はルメイに対し、勲一等旭日大綬章を授与している。

アメリカの支配層にとって核兵器は一貫して攻撃のためのもの。これが「抑止力」や「核の傘」の実態だ。守りという点から考えると沖縄に基地を集中させるのは得策でないが、使い捨ての出撃基地だと考えれば納得できる。



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