あっちもこっちも意識して言い訳がましい「戦後70年談話」


あっちもこっちも意識して言い訳がましい「戦後70年談話」



あっちもこっちも意識して言い訳がましい「戦後70年談話」


田中良紹 | ジャーナリスト
2015年8月15日 19時47分
フーテン老人世直し録(168) より転載

葉月某日

安倍総理の「戦後70年談話」は、あっちもこっちも意識してくどくどと言い訳がましい一方、「いさぎよさ」、「決断力」、「主体性」などを感じさせない「およそ男らしくない」談話となった。

諸般の事情から当初の目論みとは異なる内容を発表せざるを得なくなったのだろうが、これと同じことは国会で審議中の安保法案でも起こっていて、結局、安倍総理は「解釈改憲」も「戦後70年談話」もやらない方が良かったという事になるのではと思う。

安倍総理の当初の目論みは、敗戦で押し付けられた憲法を変え、中国や韓国に謝罪を繰り返す「戦後レジームからの脱却」を図る事だったのだろう。その「歴史的転換」を断行した右派のリーダーとして歴史に名を刻む事を夢見ていたと思う。ところが安倍総理の性格なのか、それとも周囲の入れ知恵なのか、それを「男らしく堂々」とやらないのである。

国民を巻き込んだ憲法改正を堂々と行わず、姑息で安易な「解釈改憲」によって歴代内閣が認めてこなかった集団的自衛権行使を閣議決定し、後から国会で法案審議をするという段取りにした。国民に理解させるより仲間内だけで先に決めてしまいたいということだ。

戦後一貫して日本に集団的自衛権の行使を要求し続けてきたのは米国で、特に中東地域で泥沼状態となった「テロとの戦い」から撤退したいので肩代わりを求めている。その米国を後ろ盾に国会を乗り切ろうとした安倍総理は国会審議の前に米国議会で法案の成立を約束し喝采を浴びた。安倍政権にとって大事なのは日本の国会より米国議会である。「寄らば大樹の陰」というのも「さむらい」のやる事ではない。

ところが一方で憲法改正をしないため、安倍政権はあくまでも憲法9条の枠内で米国の要求に応えなければならない。安倍総理は国会で「他国の領土、領海、領空に自衛隊を派遣する事はしない」と答弁し、唯一の例外をホルムズ海峡の機雷掃海とした。なぜホルムズなのかは不明だが、しかしこれでは米国を満足させる集団的自衛権にならない。

そのためか日本向けの説明と異なる英語訳が付けられて海外に紹介されているという。海外では「限定されない集団的自衛権」を日本が行使すると考えられているらしい。「戦後70年談話」は他人の目ばかり意識して主体性がないと書いたが、「集団的自衛権」も日本向けと海外向けとあっちにもこっちにも良い顔をしているなら、法案が成立しても問題が起こる可能性が高い。

フーテンは憲法改正論者である。それは戦争をしたいからではなく、戦後日本の対米従属体制に終止符を打つ時期だと考えているからである。冷戦が終了し各国が真剣にポスト冷戦の生き方を模索している時、フーテンは米国議会の議論を見ていた。米国は2年から3年かけて冷戦時代の仕組みをゼロベースで見直す作業をした。対ソ用に作られたCIAなどの組織はすべて廃止を前提に見直しが図られた。

東西ドイツは困難な問題を解決しながら統一に向けて歩みだし、冷戦の前線にいた韓国や台湾もイデオロギーを超えた民族的な動きが芽生えたが、日本だけは恐ろしいほど国際環境の激変に無関心だった。宮沢総理は「これで平和の配当が受けられる」と言ってフーテンを驚かせた。世界では冷戦終了は無秩序の始まりと認識されていたのにである。

米国の例に倣えば日本も冷戦時代の仕組みをゼロベースで見直すべきであった。冷戦時代の日本の仕組みとは、平和憲法によって安全保障を米国に委ね、ひたすら経済に力を入れた体制である。その結果「冷戦の勝者は日本」と言われるほどの繁栄を手に入れた。戦後日本の成功は冷戦のおかげと言っても過言ではない。しかし冷戦が終わると米国は日本経済をソ連に代わる最大の脅威として解体工作に乗り出した。

ところが当時の日本政治は「政治とカネ」のスキャンダル追及に振り回され、誰も冷戦後の日本を考える議論などしていない。すると米国は安保体制を冷戦時代のままにして日本を従属させ、それを梃子に日本の経済的利益を吸い上げる戦略に転じた。それを日本は何の議論もないままに受け入れた。

一方、第二次大戦で日本と同様に敗戦国となり、冷戦時代は米国に従属してきた西ドイツは、冷戦後は統一ドイツとなり軸足を米国から欧州に移して自立していく。日独は冷戦後に違う方向に向かい、自立するドイツと従属する日本との開きが大きくなった。

冷戦時代に「一億総中流」を実現した日本は、冷戦後は米国の誘導により米国並みの「格差国家」に変容させられていく。それが米国の日本からの経済的利益吸い上げの核心部分である。このままいけば日米はイソップ童話のアリとキリギリスの関係になり、また軍事の肩代わりも求められるとフーテンは想像する。それでも米国に頼るだけで良いのか、考え直す時に来ているとフーテンは思うのである。

ドイツが米国から自立できたのは欧州連合という地域の連合体があったからである。日本にとっても大事なのはアジアに「共栄圏」を作る事ではないか。戦前はそれを武力でやろうとして失敗したが、武力ではなく外交力と経済力でつくりあげるのはできない話ではない。孫文の唱えた「大アジア主義」はまだ死んではいないと思うのだ。そうした戦略の下に「戦後70年談話」が作成されれば、それはより心を打つ「談話」になりえたのではないか。

またそれこそがポスト冷戦を日本が生きる「未来への指針」になる。未来はアジアにあるとフーテンは思うのだが、安倍総理は思考が過去の冷戦時代のまま、いまだに日米同盟にのみ軸足を置いている。

しかし米国はとっくに冷戦時代の思考を清算し、日本経済を最大の敵と見て、そのためにも軍事面での従属を強化しようとしている。それを見抜かないと日本にとって未来の経済的繁栄も軍事的安全も保障される事はないのである。


田中良紹
ジャーナリスト


「1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件、日米摩擦、自民党などを取材。89年 米国の政治専門テレビ局C-SPANの配給権を取得し(株)シー・ネットを設立。日本に米国議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年からCS放送で「国会TV」を放送。07年退職し現在はブログを執筆しながら政治塾を主宰」


フーテン老人世直し録(168)

葉月某日

安倍総理の「戦後70年談話」は、あっちもこっちも意識してくどくどと言い訳がましい一方、「いさぎよさ」、「決断力」、「主体性」などを感じさせない「およそ男らしくない」談話となった。

諸般の事情から当初の目論みとは異なる内容を発表せざるを得なくなったのだろうが、これと同じことは国会で審議中の安保法案でも起こっていて、結局、安倍総理は「解釈改憲」も「戦後70年談話」もやらない方が良かったという事になるのではと思う。

安倍総理の当初の目論みは、敗戦で押し付けられた憲法を変え、中国や韓国に謝罪を繰り返す「戦後レジームからの脱却」を図る事だったのだろう。その「歴史的転換」を断行した右派のリーダーとして歴史に名を刻む事を夢見ていたと思う。ところが安倍総理の性格なのか、それとも周囲の入れ知恵なのか、それを「男らしく堂々」とやらないのである。

国民を巻き込んだ憲法改正を堂々と行わず、姑息で安易な「解釈改憲」によって歴代内閣が認めてこなかった集団的自衛権行使を閣議決定し、後から国会で法案審議をするという段取りにした。国民に理解させるより仲間内だけで先に決めてしまいたいということだ。

戦後一貫して日本に集団的自衛権の行使を要求し続けてきたのは米国で、特に中東地域で泥沼状態となった「テロとの戦い」から撤退したいので肩代わりを求めている。その米国を後ろ盾に国会を乗り切ろうとした安倍総理は国会審議の前に米国議会で法案の成立を約束し喝采を浴びた。安倍政権にとって大事なのは日本の国会より米国議会である。「寄らば大樹の陰」というのも「さむらい」のやる事ではない。

ところが一方で憲法改正をしないため、安倍政権はあくまでも憲法9条の枠内で米国の要求に応えなければならない。安倍総理は国会で「他国の領土、領海、領空に自衛隊を派遣する事はしない」と答弁し、唯一の例外をホルムズ海峡の機雷掃海とした。なぜホルムズなのかは不明だが、しかしこれでは米国を満足させる集団的自衛権にならない。

そのためか日本向けの説明と異なる英語訳が付けられて海外に紹介されているという。海外では「限定されない集団的自衛権」を日本が行使すると考えられているらしい。「戦後70年談話」は他人の目ばかり意識して主体性がないと書いたが、「集団的自衛権」も日本向けと海外向けとあっちにもこっちにも良い顔をしているなら、法案が成立しても問題が起こる可能性が高い。

フーテンは憲法改正論者である。それは戦争をしたいからではなく、戦後日本の対米従属体制に終止符を打つ時期だと考えているからである。冷戦が終了し各国が真剣にポスト冷戦の生き方を模索している時、フーテンは米国議会の議論を見ていた。米国は2年から3年かけて冷戦時代の仕組みをゼロベースで見直す作業をした。対ソ用に作られたCIAなどの組織はすべて廃止を前提に見直しが図られた。

東西ドイツは困難な問題を解決しながら統一に向けて歩みだし、冷戦の前線にいた韓国や台湾もイデオロギーを超えた民族的な動きが芽生えたが、日本だけは恐ろしいほど国際環境の激変に無関心だった。宮沢総理は「これで平和の配当が受けられる」と言ってフーテンを驚かせた。世界では冷戦終了は無秩序の始まりと認識されていたのにである。

米国の例に倣えば日本も冷戦時代の仕組みをゼロベースで見直すべきであった。冷戦時代の日本の仕組みとは、平和憲法によって安全保障を米国に委ね、ひたすら経済に力を入れた体制である。その結果「冷戦の勝者は日本」と言われるほどの繁栄を手に入れた。戦後日本の成功は冷戦のおかげと言っても過言ではない。しかし冷戦が終わると米国は日本経済をソ連に代わる最大の脅威として解体工作に乗り出した。

ところが当時の日本政治は「政治とカネ」のスキャンダル追及に振り回され、誰も冷戦後の日本を考える議論などしていない。すると米国は安保体制を冷戦時代のままにして日本を従属させ、それを梃子に日本の経済的利益を吸い上げる戦略に転じた。それを日本は何の議論もないままに受け入れた。

一方、第二次大戦で日本と同様に敗戦国となり、冷戦時代は米国に従属してきた西ドイツは、冷戦後は統一ドイツとなり軸足を米国から欧州に移して自立していく。日独は冷戦後に違う方向に向かい、自立するドイツと従属する日本との開きが大きくなった。

冷戦時代に「一億総中流」を実現した日本は、冷戦後は米国の誘導により米国並みの「格差国家」に変容させられていく。それが米国の日本からの経済的利益吸い上げの核心部分である。このままいけば日米はイソップ童話のアリとキリギリスの関係になり、また軍事の肩代わりも求められるとフーテンは想像する。それでも米国に頼るだけで良いのか、考え直す時に来ているとフーテンは思うのである。

ドイツが米国から自立できたのは欧州連合という地域の連合体があったからである。日本にとっても大事なのはアジアに「共栄圏」を作る事ではないか。戦前はそれを武力でやろうとして失敗したが、武力ではなく外交力と経済力でつくりあげるのはできない話ではない。孫文の唱えた「大アジア主義」はまだ死んではいないと思うのだ。そうした戦略の下に「戦後70年談話」が作成されれば、それはより心を打つ「談話」になりえたのではないか。

またそれこそがポスト冷戦を日本が生きる「未来への指針」になる。未来はアジアにあるとフーテンは思うのだが、安倍総理は思考が過去の冷戦時代のまま、いまだに日米同盟にのみ軸足を置いている。

しかし米国はとっくに冷戦時代の思考を清算し、日本経済を最大の敵と見て、そのためにも軍事面での従属を強化しようとしている。それを見抜かないと日本にとって未来の経済的繁栄も軍事的安全も保障される事はないのである。


田中良紹
ジャーナリスト


「1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件、日米摩擦、自民党などを取材。89年 米国の政治専門テレビ局C-SPANの配給権を取得し(株)シー・ネットを設立。日本に米国議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年からCS放送で「国会TV」を放送。07年退職し現在はブログを執筆しながら政治塾を主宰」
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